参上ルルのブログ

映画を観て思ったことを徒然と。

主役二人が対峙したときの鼻の高さといったら

『ロストケア』介護士でありながら、42人を殺めた殺人犯と彼を裁こうとする検事の互いの正義を賭けた緊迫のバトル。

苦しむ家族と本人のためにとの己の信念で犯行を重ねた犯人・斯波(松山ケンイチ)を、法の名の下に検事・大友(長澤まさみ)は裁ききることができるのか。

 

「介護殺人」という重いテーマということで、最初から覚悟していたことであったが、劇場内は啜り泣きがあちらこちらから上がっていた。

客席の左後方からは、堪えきれず嗚咽する女性の姿も。

あまりにも悲しい声が響くので、途中からひきつけを起こすんじゃないかとハラハラしたくらいに。

そのご婦人とまではいかなくても、観客の誰もが人ごとではないテーマ。

自分の立場と重ねて観る人もいるだろうし、これから来る未来を想って観る人もいるだろう。

2時間の映画を観終わっても、斯波が本当の悪党であるのかの判断は観た人それぞれに違いない。

 

斯波の犯行と断定されてから、被害者家族の声を集めていく大友。

大友の意に反して「救われました」とはっきり告げる家族もいれば、法廷の場で傍聴席から「人殺し!お父ちゃんを返して!」と叫ぶ家族もいる。

けれど、この家族たちの気持ちも、被害者同様に毎日揺れ動くものだ。

殺害の日が一日ずれれば、娘のことも分かるくらいに調子が良くなったかもしれないし、あるいは手もつけられぬほどに暴れ狂う日になったかもしれない。

そうなれば主張はそれぞれ反対になったかも。

そしてそれは誰にも非難できない感情なのだ。

 

斯波の最初の犯行は、男手ひとつで育ててくれた自分の父親。

脳梗塞を発症して身体機能に後遺症が残り、その後認知症を併発していく。

斯波は、最初は親孝行のしどころと仕事を辞め介護生活にシフトするが、症状が進行するにつれアルバイトもままならなくなり、果ては頼みの綱の社会保障にも見放される。

この親子を演じるのが松山ケンイチ柄本明

最初の退院時の明るい男やもめの暮らしから最後の疲れ果てた二人までを、本当の親子さながらに演じた。

映画の舞台挨拶の記事で読んだのだが、マツケンはこの映画では、柄本明の実子である柄本佑と時生のどちらに設定しようと悩み「今回の作品は佑くんだ!」と決めて演じたらしい。

そう知ってから観ると、なるほど佑ならこうかもと思える不思議。

流石のマツケン

ちなみに、この記事を読んで、スピルバーグ監督『レディ・プレイヤーワン』で森崎ウィンが放った日本語セリフ「オレはガンダムで行く!」がよぎった。

マツケンがこれから演技お化けに立ち向かっていくために強い決意をする絵を妄想したのだ。

AI先生が描いた「男と女のバトル」This art is created by #aipicasso