モヤモヤの耐えられない重さ
『悪は存在しない』長野県の自然豊かなのどかな町に、グランピング場を建設する計画が突如持ち上がる。コロナ禍の煽りを受けた東京の芸能事務所が政府からの補助金を狙って事業化を目論んだのだ。貴重な資源である水源が汚染されかねないずさんな計画に、住民は動揺し反発する。芸能事務所から言われるがままに住民への説明会に派遣された高橋と黛は、住民の主張に納得し寄り添おうとする。
『ドライブ・マイ・カー』でカンヌ映画祭の脚本賞、アカデミー賞の国際長編映画賞を受賞した濱口竜介監督の最新作。
わたしはこれまで何本か濱口監督の作品を観てきたが、どの場面を切り取っても絵になる美しいカメラワークや、今回コラボした石橋英子の、ほぼ全編に渡って静かに流れている音楽の荘厳ながら不安定な感じなど、これまでの作品よりずっしりと心に残った。
・・・が、告白しよう。
これまでで一番結末が咀嚼し切れなかった(泣)
どうゆうこと〜!?
ストーリーは分かりやすく、それぞれの登場人物の行動もとても理解できる。
ただ、主役である町に住む自称、町の便利屋・巧が分からない。
森に生えている樹々の特色や、鹿の通り道、水の流れ方など、生きた知識を備えていて、よそ者の芸能事務所の人間たちにも無愛想ながらも敵対姿勢ではなく惜しみなく町や自然について教えてあげようとする面を持ち合わせる人物だ。
ただ、一人娘の学童終わりの迎えの時間を毎日忘れる。
とても大事にしている娘なのにそんなことあるんだろうか。。。
巧役の大美賀均さんは、元々制作側にいたスタッフで監督によって演技者側に抜擢されたのだそうだ。
濱口監督の演出として、あまり役者に演技演技させないというのがあると思うのだけれど、巧は役者ではない人が演じているということも相まって観客は感情を読み取れないし、セリフも言っちゃうと棒読みに聞こえる。
この人は一体、本当のところはどう思っているのだろう。
見た目が、Mr.都市伝説の関さんに似ているルックスである上に、声も低めで一言一言に重みがある。
ただ者じゃない風格が終始漂う。
そして、衝撃のラスト・・・!
森に消える巧の自然に還るかのような後ろ姿は、美しい。
美しすぎるとも言えるのだけれど、ン?ンん〜〜??
この美しい絵と一緒に心に深く刻まれる疑問符で、ちょっとまた観てみようと思わせられ、既に濱口マジックにハマってた〜と感じる観終わって数日経った今日この頃です。

AI先生が描いた「森と鹿」This art was created by #aipicasso
死ぬか、生きるか、そこに沼るか
『シビル・ウォー アメリカ最後の日』アメリカ国内でテキサスとカルフォルニアから成る同盟「西部勢力」と政府軍の間で内戦が勃発。国内各地で血で血を洗う戦闘が行われていた。首都ワシントンD.C.の陥落が迫っていると察知した戦場カメラマンのリーと記者のジョエルは、大統領の単独インタビューを敢行するためホワイトハウスに向かうことを決意。足手まといになりかねない老いて足の不自由な記者サミーと戦場カメラマンを目指す若者のジョエルも、行きがかり上連れて行くことになる。戦場の最前線に近づくにつれ、心身ともに傷つかずにいられない4人───
鑑賞したのはアメリカ大統領選前夜。
ニュースで、トランプさんのみならず、ハリスさんまで相手の悪口を投げつけて両陣営の罵倒合戦を見てると、この映画はもちろんフィクションなんだけど、「もしかしたら、いや、ひょっとしたら…」という気になってくる。
アメリカは、そもそも他国と戦争はしても本土が戦場になったことはなく、本土で戦いが行われたのは1860年代の南北戦争に遡る。
ちなみに、英語で南北戦争のことをthe Civil Warと表記するらしい。
現代に普通に日本で生まれ育ったわたしからしても、アメリカが戦場になるなんて設定は、思いつきもしなかった。
アメリカの街並みが破壊されるといったら、ゾンビに襲われるとか、宇宙人に襲撃されるとかしかインプットされてないし。
で、人類=アメリカ国民が団結して戦うっしょ、的な。
しかし、この映画の中では、アメリカ英語を話す人々同士が、我々が日々テレビや映画で目にするアメリカンな街の中で普通に殺し合っていた。
しかもドキュメンタリーチックに撮っているから、リアル感がハンパない。
この映画では、内戦の始まりを描いていないが、4年前の大統領選後の議会議事堂襲撃事件から端を発して…と地続きで見せられても違和感ないほどだった。
映画では、ベテラン戦場カメラマンのリーに憧れてくっついてくるジョエルという白人の女の子が主軸になる。
「女の子」と書いたけれど、小柄な身体もあってまさに子ども。
年齢は23歳と言っていたが、東洋人から見てもティーンエイジャーにしか見えない。
若さの無鉄砲さで、リーの国内を縦断する旅路に無理やり同行するが、案の定、戦闘に遭遇すると恐ろしさにすくんでしまい、肝心の写真も撮れない。
それでも、リーから身の守り方、動揺する心の処し方などを学びながら、少しずつ戦場での写真の撮り方を学んでいく。
そして、ジョエルに決定的な出来事が起こる。
兵士に囚われ(もう彼らがどっちの側なのかも分からない)、すぐ横に座っていた知人を銃殺されるのだ。
周囲に助けられ、なんとか逃げ出した後に、安心から嘔吐し震えが止まらないジョエル。
けれど落ち着いた頃、リーに静かにこう言う。
「この数日ほど恐ろしい目に遭ったことはない。ただ魂は躍動した」
これ!これでしょう!
ニュースで自己責任と責められながらも、危険な場所に赴く理由は。
正義を全うしたいという人ももちろんいるでしょう。なんなら大多数の人々は。
でも、一定数は、異常な体験を通じてアドレナリンがドッパドパ、ドーパミンもドッピュドピュを経験して、それが忘れられなくて「危機一髪」沼から抜けられなくなることがあるんだと思う。
映画で若者を描くのによく使われるのは成長譚だけれど、この映画ではジョエルはここで変貌を遂げたのだ。
ジョエルは言うだろう。これを味わわずに死ねるのか、と。
はい、究極の体験なんてしなくていい。
臆病なわたしは、ジョエル界隈に「かわいそうに」と思われても、お布団でぬくぬく死なせていただこうと思います。

AI先生が描いた「星条旗と兵士」This art was created by #aipicasso
その後はきっと惰性と諦観?
『傲慢と善良』架(かける)と真実(まみ)はマッチングアプリで知り合った。東京で親の事業を継いで社長業をする架はルックスも良く、女性側からは引くて数多だが、自分を見る女性の視線に嫌気がさしていた。そんな時に出会った純粋で素朴な真実にひかれ、架は付き合い始めた。一年後、結婚を控えたある日、真実が失踪した。手掛かりを探すために真実の家族や同僚、地元の人々に話を聞きに行くと、架の見えなかった真実の一面が見えてきた。そんな時真実からのメッセージが架のスマホに届く。
「真実
全部、お話します」
恋愛と結婚は違う。
早速ですが、ここからは毒女が独り言りますのでご容赦をm(_ _)m
上記を是とする人は、結婚は条件だと宣言してるってことですよね?
いえいえ、批判してる訳ではなくて、全面的に賛成です。
この映画の下敷きになっているのは、映画にも出てくるイギリスの小説『高慢と偏見』で、19世紀初めのイギリスの「格上だ、格下だ、やれなんだ」という階級社会に生きる若者たちの恋愛模様らしいんだけれど(wiki知識)、翻って現代日本。
かつての見合い結婚を敬遠して皆が恋愛結婚を選ぶようになったけれど、時代は巡って結局は新しい見合い様式であるマッチングアプリが隆盛を誇っている。
結局、恋愛じゃなく自分が結婚するに値する人は条件次第。
「この私に合う人を」
恋愛だったら、「あなた好みに染めて。うふっ」なんてやってるけど、結婚となったら容赦しない。
「私は自分を変えたくはない。そのままでいれる人を選ぶ」となる。
映画に出てくる貫禄十分、前橋のお見合いおばさん前田美波里先生が、架相手に今の若者たちを一刀両断する。
「今の若い人たちは傲慢で善良なんですよ」と。
「私なんか」と自己肯定感が低く親に従順な一方で、自己愛が強く条件が「自分様」に合うのかをシビアに見定める。
社会を隔てるような明確な階級がないからこそ、一人一人が物差しを持って相手を品定めする。
でも、その物差しはやっぱり「この人と私が一緒にいたら釣り合うでしょう」と思わせてくれる社会からの評価。
でもって、自己愛が強いから、側からすると「ん?ちょっとあなたに対してハイスペックだよね」あるいは「ん?ちょっと出来過ぎた人だよね」なんてなっちゃう。
自己肯定感は低くても、自分は大好きだから相手選びにはそれが投影されて、ちょっと自分にはズレてる人に固執するということなのだろう。
あと美波里先生、こうも言ってました。
「結婚するのは何が欲しいのかはっきりビジョンを持ってる人だ」と。
映画館で一人膝を打ちました。
心して来世は婚活にチャレンジしたいと思います(合掌)。
真実は、身を寄せた地方でみかんの収穫を手伝うことになる。
傷ついたみかんを仕分けしながら、市場に出せなくなったみかんに自分を重ねた真実。
真実に心を寄せる同僚は「傷ついたみかんは、より美味しい」と慰める。
ん?みかんといえば腐ったみかんの方程式。
傷を越えて腐ってしまったら、他も腐らせてしまうやん(by桜中学職員室)。
ち、違う!人間はみかんではありましぇ〜ん!

AI先生が描いた「ウェディングカップルの後ろ姿」This art is created by #aipicasso
恋されたピエロは泣きながら踊り続けるしかないのだ
『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』前作でジョーカーとなり6人を殺したアーサー。道化師のコスチュームで大胆不敵に人を次々と殺すアーサーに、世の中に不満を抱えていた民衆は熱狂した。今作では囚人となったアーサーが、謎の女リーと出会うことによって再び狂気を呼び覚まされていく。
麗しのリバー・フェニックス。
小学生の時に、隣の席だった男子のお姉さんが当時子役で人気急上昇のキー・ホイ・クァンに手紙を書いたら返事がエアメールで届いた、と自慢した。
「そんなことが!それならわたしだってワンチャンあるかもっ(現代語訳)」と奮い立ち、辞書と首っ引きで英語で手紙を書いて「ロードショー」にあったリバーのファンレター宛先に送ったっけ。
弟ホアキンを見て思い出した。
決して顔が似ているわけではない。
金髪碧眼三角顎のシュッとしたアイドル然のリバーに対して、ホアキンは暗い髪色に暗い瞳の色に輪郭も角ばっている。
最初ホアキンを見た時は、兄弟でも全然違うんだなとちょっとガッカリもしたものだ。
でも、ホアキンをどんどんスクリーンで観るようになると、変幻自在な役作りで毎回違うキャラではあるのだけれど、ふとした時に、「あ、リバー」と思いだす時がある。
なんか、どちらも表情に陰があるというか憂いを帯びているというか。
顔が整いすぎてない分、俳優としてはホアキンの方が演じる役柄に幅を持たせられるかもしれない。
ジョーカーもしくはアーサーは、そんなホアキンのはまり役。
表情だけではなく、今回も囚人服を脱ぐと肩甲骨が10センチも背中から浮き出たガリッガリの身体も披露した。
アーサーという人の苦悩が分かる。
前作の終わりで警察に連行されたアーサーは、拘置所にいる。
殺戮後に民衆の狂喜の渦に担ぎ上げられて、得意満面で道化のダンスをしたジョーカーの面影はない。
凶悪犯の中のワン・オブ・ゼムであり、誰も彼を標的にしない証拠に追い詰められる時に出る神経質的なあの高笑いも出ない。
無表情に所内のルールに従い、感情が動くこともない。
その彼に運命の出会いが訪れる。ジョーカーに憧憬の眼差しを向ける美女・ルーだ。
ルーと恋に落ち、彼女からジョーカーを賞賛され煽りに煽られ、アーサーの中で眠っていたジョーカーが目を覚ます。
前作では、少しメンタルに問題があるけれど皆に笑ってもらいたい一心でコメディアンを目指す心優しいアーサーが、世の中から嘲笑され騙され踏みつけられた結果、這いつくばっていた床の底が抜けた。
まっしぐらに暗闇を落ちる時に世間という恐怖から自由になり、無敵のジョーカーが誕生したのだった。
アーサーが遭遇した事柄を追った前作を叙事詩というならば、今作は叙情詩。
リーとの歌やダンスが全編に散りばめられているのだけれど、実際のドラマを歌っているのか、アーサーの妄想を歌っているのか。
世間から勝手になすりつけられた狂った偶像を演じる苦悩は、どんなに闇堕ちした人間でも原型は最後に残るという希望を見せてくれるようだった。
リー演じるガガ様は、ホアキンと並ぶと意外と小柄で驚いた。
歌手をしている時のガガ様は、奇抜なメイクとファッションでものすごい存在感なのに。
それは彼女が世間に自分をそう思わせたいと思って作り上げた偶像でそれは本人にとって成功だと思うのだけれど、ガガ様こそがアーサーへの共感が高いのだろうと思う。

AI先生が描いた「ジョーカー」This art is created by #aipicasso
お客様は(稼がせてくれる)神様です
『ラストマイル』流通業界の最大級のイベントであるデイリーファストの大セールキャンペーン「ブラックフライデー」。その直前に関東センターのセンター長として赴任したエレナ。機を同じくして、デイリーファストから配達された荷物が爆発した。1個、2個と連日爆発する荷物。警察から配送の差し止めを求められるエレナと部下の孔は、億単位の損害を食い止めるべく、警察、配送会社及び日本本社に掛け合い奔走するが…。「ラストマイル」とは、様々な過程を経る物流においてお客様の手に届くまでの最後の区間の意味。
「映画」x「流通」───斬新!
これまで、刑事モノ、IT業界モノ、スーパーの女モノ、トラック野郎モノなどなどありとあらゆるお仕事物語が世に出されてきたと思うけれど、丸っと大きく「流通」なんて目のつけどころがSHARPでしょ👀・・・
これ繰り出した時点で、前世代を引っ張りがちな証拠かしら。
ともかく、とても新しい物語が誕生した。
二十数年前は、部屋に届く荷物と言えば、母からのふるさと便がほぼ全てという状況だったのに、コロナ禍を経た今、下手したら毎週のようにECサイトでポチッとした商品が届く。
いつの間にかこんな魔法が使える時代になった。
お母さんが、「食べてるかしら。栄養は足りてるかしら。たまにはこういうのも食べてほしい」と厳選した商品を詰め込んだお楽しみ箱は、もう絶滅しちゃうのかも。
代わりにPayPayでお小遣いを送金しとけば、自分の好きなものをポチポチできるものね。
お母さんが送りつけてくる食べないまま積み上がっていく煮干しのお菓子ももう見ない。
部屋の扉を開ければ欲しいモノが置いてある魔法。
私たちの見えないところで、とんでもなく多くの人々がバトンを一生懸命に繋いで繋いで、結果マッハの速度でわたしたちの扉の前に現れる。
当たり前のことなのに、考えてみることもなかった。
グローバルな会社が世界戦略の中で日本の立ち位置を決める。
日本支社は業績を上げるべく国内の消費者の購買意欲をくすぐる仕掛けをして売り出す。
巨大倉庫センターでは、効率が下がらないように何千人ものを労働者をシステムと睨めっこしながら即時管理する。
倉庫で働く人々は、給料を下げられないように分単位の倉庫内のルールを遵守する。
配送会社は、より多くの荷物が捌けるようにルートを考えドライバーの確保に励む。
ドライバーは、不在ならば無料で何度だって客先に荷物を持って向かう。
どこの層を切り取ってもドラマがある。
これを全部見せるんだから、そりゃ2時間超えますよ。
わたしたちに一番見えやすいドライバーが大変なのは身に染みて分かるのだけれど(不在票を本当に反省)、朝イチでジムに行って身体を鍛えて、多国籍な部下たちを持つイケイケエリートも、事があればオンライン会議でアメリカ本社から英語で一方的にドヤされて胃がキリキリもするんだろう。
映画に出てくるどの職種の人も、精一杯頑張っていて共感するところがあった。
この世の中、誰もがドラマチック。
普段顔が見える人も見えない人も、みなさん、明日も一緒に頑張っていきまっしょい。
ドラマ『アンナチュラル』と『MIU404』のキャラクターたちも登場したこの映画。
わたしはそこまでドラマにハマっていなかったけれど、お馴染みの、それも豪華なキャラクターたちがドラマのまんまで振る舞っているのを見るとニヤッとできた。
他の作品からキャラクターが客演するのって楽しい。
欲を言えば、キャラ特有のケレン味が出ればなおよし。
わたしの記憶の源流は映画『銀河鉄道999』だ。
鉄郎が大ピンチに陥った時に、キャプテン・ハーロックが突如やってきて、
「男なら、危険をかえりみず…死ぬと分かっていても行動しなくてはならない時がある。負けると分かっていても戦わなくてはならない時がある。鉄郎はそれを知っていた」
の台詞と共に鉄郎の加勢を始めるシーン。
く〜、痺れ死ぬ。

AI先生が描いた「巨大倉庫」This art is created by #aipicasso
リッチなランドに住む人々
『リッチランド』ドキュメンタリー。アメリカはワシントン州南部にあるリッチランド。人々の暮らしぶりは平和でのどかであり、典型的なアメリカの田舎である。しかし、その町の成り立ちは、先住民族の居住地を取り上げ、1943年に原子爆弾製造計画(マンハッタン計画)のために核燃料生産拠点「ハンフォード・サイト」を設立した後に、マンハッタン計画に従事する労働者や家族が住むベッドタウンとして造られたのだった。
「原爆は戦争の終結に貢献した」と町を誇りに語る人々、原爆自体に反発を覚える人々、「川の魚は食べない」と放射能汚染を不安視している人々、汚染除去された土地の返還を求める先住民族など、様々な世代がそれぞれの思いを抱えて町に生きている。
アメリカ人ってやっぱすごっ、と引いてしまった。
だって、町の名前が「リッチランド」ですよ。
「やすらぎの郷」が老人ホームに名付けられたように、「リッチランド」というからには、核燃料施設で働くとリッチになれるという意味なのか、はたまたアメリカを世界の覇者へと導く核燃料をここで作るという気概なのか、どちらにしてもお上の高笑いが聞こえてくるようなネーミングではないですか。
けれども、作品のホームページで確認してみると、元々先住民族が多く住む土地に1900年代に他所から移り住んでくるようになり、現在の町の名前は当時の州議会議員ネルソン·リッチランドの名前に由来しているとのこと。
流石に、わざとこんな名前はつけないか。
それにしても、名付けから40年経ってその名前が大きな皮肉を持つようになるとはなんたる土地。
現在の人口は6万ほど。
第二次世界大戦後も冷戦による核燃料の需要が増したことで、さらに発展したのだった。
リッチランドが政府の命を受けて作られた当初は、住民は隔離され、土地、建物、インフラは政府が所有していた。
しかし、1957年にそれらの権利が政府から住民へと移譲され、リッチランドは使命を終え形を変えていくことになる。
1987年にハンフォード・サイトの最後の生産用原子炉が閉鎖されると、環境浄化技術の開発へと移行している。
が、まあ当然というか、まだ約2億1200万リットルの放射性廃棄物が未処理の状況で、現在のリッチランドの住民の多くは、この浄化に関わる仕事に携わっている。
リッチランドのトレードマークは「キノコ雲」。
町の街灯にぶら下がるフラッグにはデカデカと描かれているし、未来の希望でもあるリッチランド高校の校章も「キノコ雲」&イケてる男子学生が集まるフットボールチームの名前は「リッチランド・ボマーズ(爆撃手)」。
実際、ハンフォード・サイトで作られたプルトニウムを使用した原爆が長崎に投下された。
町に住む退役軍人である老人たちは、自分たちが作った原爆が落とされたことが誇りであり、今でも「戦争を始めた日本人が自分たちに何か言えた義理ではない」と言い切る。
人を変えることは難しい。しかも、その人を長年支えてきたプライドならば。
その一方で、キノコ雲の校章の下で勉強している現在の若者たちは、シンボルは変えるべきだし、原爆を作ったことは恥じいるべきことと話し合っている。
時間が経てば、皆の意識は変わるのだろうか。
けれど、例えば今の世の中にある差別問題をみても、考え方が複層になるだけで数は減ったとしても差別している人はいる。
原爆の恐ろしさを知ってもらうには、根気よく語り続けることは大事なことだ。
映画に出てくる被爆3世の日本人アーティストが、有色人種がたった一人自分だけというリッチランドの集会で語りかけたように。
P.S.—-2024年のノーベル平和賞に日本被団協が選ばれました。
被爆者の方々が続けてきた活動は、世界でも称されるものと改めて知れ渡りました。
リッチランドのお爺さん、聞こえますか〜?

東の横綱『火垂るの墓』西の横綱『風が吹くとき』
『風が吹くとき』1986年にイギリスで制作されたアニメーション映画。ジムは定年退職を迎え、イギリスの片田舎に妻のヒルダと一緒に越してきて平穏な暮らしを送っていた。子どものロンは家庭を持ち都会に暮らしている。いつもと変わらないある日、ラジオから戦争が勃発し、イギリスに核爆弾が落ちてくるとのニュースが流れてくる。ジムは図書館からもらってきた政府のパンフレットに従って、屋内シェルターを作った。その後、核爆弾が落ち瓦礫の中、二人は生き延びるが…。
泣きました。ええ、泣きましたとも。
名作だという話を聞きつけて、確か大学生の頃にも観た覚えがあるけれど、超フレッシュに泣きました。
日本人にも馴染みのあるスノーマンのイラストレーターが原作絵本を描いているので、あの淡い色合いのほのぼの世界のアニメーション。
イギリスの田舎の風景がよく似合う。主人公の老カップルのジムとヒルダも、目が点々で口元はいつもにっこりしていてふくよかなフォルムがピッタリ。
なんて可愛らしい世界。
そこに核爆弾が落ち、政府のおためごかしなマニュアルに忠実に従った屋内シェルターを作ったジムとヒルダは生き延びる。しかし…といったストーリー。
実際に映画に登場する人物は、ジムとヒルダの二人きり。
日本語吹き替えは、大島渚監督演出のもと、森繁久彌と加藤治子が演じる。
この名優二人の芝居に泣かされました。
ラジオドラマとして聴いたとしても立派に成立する。
昭和の時代によく聴いた声。
ウンチクだけは立派で講釈垂れのジム。
それをいいように聞き流し、家の中の実権を実は握っているヒルダ。
偉そうだけれど、ヒルダを思いやっているビルと、ビルに対して「はいはい」と返事しながらも丁寧な言葉遣いでビルを立てて信頼を寄せるヒルダは古き良きカップルなのだ。
この二人に今は亡き、昭和の懐かしき祖父と祖母を重ねた。
大学の時より泣けたのは、その後に逝ってしまった二人がより鮮明に思い起こされたからだ。
田舎に住む無辜な老父婦が、何もわからないまま戦争の犠牲になっていく姿が残酷すぎる。
あちらはあちらで何度みても残酷で目を背けたくなるが、今観ると以前よりももっと冷静に観れるかもしれない。
というのも、わたしは子どもがいないから。
同世代の子育てしてる人達からすると、清太と節子に我が子を重ねさらに深く刺さるかもしれないが、今のわたしはもしかしたら意地悪した親戚のオバさんに同情するところが増えるかもしれない。
自分も大変だしこんな時なんだから、子どもも少しは考えてもいいよね、と。
反戦映画は、登場人物たちをいかに身内として考えられるかによって感じ方が変わってくるようだ。
