『ミッション・ジョイ〜困難な時に幸せを見出す方法〜』チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世と南アフリカのアパルトヘイト撤廃運動の指導者の一人であるデズモント・ツツ大主教が、宗教を超えて幸せや死生観を語り合うドキュメンタリー。二人ともノーベル平和賞受賞者。
無学にして初めて知った南アのツツ大主教。
アパルトヘイト撤廃運動に身を捧げた政治家がネルソン・マンデラであるならば、宗教指導者の一人がデズモント・ツツ大主教だという。
映画の製作年は2021年ということだが、ツツ大主教も2021年に90歳で逝去している。
映されている二人の対談が2015年ということなので、ご健勝な頃だ。
映画の中でダンスだってする。
茶目っ気たっぷりなのだが、物静かな物言いと慈愛に満ちた眼差しが印象的。
初めてみるツツ大主教と比べると、私たち日本人に馴染みが深いのがダライ・ラマ14世だ。
日本でしばしニュースになる外国の宗教指導者は、ダライ・ラマの他にはローマ法王がいらっしゃると思う。
わたしが生まれてから複数人が在位されていると思うけれど、お顔見て「ああ、この方ローマ法王だなあ」とはならない。
ぼんやり皆さん全体が白い、というイメージ。
人種的宗教的に、身近に感じる感じない、という違いがあるのだろうけれど。
ダライ・ラマは、わたしが初めて認識して以来、一貫してこの14世で、このお顔は何十年経とうと変わらない。
なんで??時をかけるラマ法王??
顔はツヤツヤしていて、目には好奇心が宿り、声にも張りがあり豪快に笑い飛ばす。
こちらも2024年の今年は89歳になられるはず。
映画の中でも解説があるのだが、幸せというのはただ気分がいいというだけではなく、身体的にも免疫力が高く健康であるため長寿なのだそうだ。
とは言いつつも、お二方とも遍歴だけ見れば幸せとはほど遠い人生を歩まれた。
ツツ大主教は、DVを振るう父親をもち母と二人の貧困の暮らしの中で育った。
そのような環境の中キリスト教の宣教師との出会いがあり、宗教指導者として南アフリカ社会の常識であったアパルトヘイト政策に立ち向かった。
ダライ・ラマは、転生者に認定され2歳で母と引き離されチベット仏教の僧侶の中で育った。
そして24歳の時には、中国の弾圧を逃れるため九死に一生を得るような逃避行の末、インドに亡命した。
それ以来、故郷に足を踏み入れることはない。
そんな二人が、人々に幸せを説き導き自らの人生で実践している。
二人の対話は、大部分がツツ大主教の娘さんが言うように、「8歳の男の子」同士が戯れ合っているみたいな冗談の応酬。
近所の寄り合い所で幼馴染のお爺さん同士が、茶化し合っているようにも見える。
軽快で明るい二人のやりとりの中で、ファシリテーターから「幸せとは」「死とは」などのお題が投げ込まれると、つと真剣な面持ちで語り合われる。
二人の言っていたことで、印象深かったことが二つ。
一つ目は、「幸せになるのはスキル」だと言うこと。
幸せを外に追い求めても、見つからない。幸せとは自分の中にこそある。
その手段としては、内省に有効な瞑想だという。
なんだか自己啓発本にありそうな話だけれど、科学に興味を持っているラマ法王は、瞑想している僧侶の脳波を調べた。
「ベルを鳴らした10秒後に一瞬の痛みを与える」という実験をしたところ、一般の人はベルが鳴った時点で不安になり、痛みが去った後も脳波は乱れたままだったという。
一方の瞑想している派は、ベルが鳴っても動揺は見られず痛みの瞬間に脳波は乱れたが、その後すぐに元に戻った。
心の平穏、それはスキル。納得。
煩悩まみれの我が身には、道のりはだいぶ遠そうだけど。
二つ目は、「赦す」ということ。南アフリカで罪もなく白人警官に射殺された黒人青年の母親が、その警官を赦すことが自分を救うことになると。
ラマ法王は、それにもう一段付け加えた。
「恨みや憎しみの記憶はなくならない。ふとした時に蘇ってくるその感情に距離をとること。それが赦すと言うこと」。
かくいうわたしも普段からネチネチしていて、昔のことを引っ張り出しがち。
我ながら楳図かずおの「へび女か」とツッコミを入れている。
赦すこと───これからの自分の課題にしようっと。
映画の最後は、二人が民衆の中で仲良く交流する場面で締めになるのだが、映画インタビュアーを務めた人や、研究者の日々の暮らしの一コマがインサートされる。
その中にラマ法王の英語通訳兼マネージャー的な短髪の穏やかなおじさんがいて、ひとり湖で陽を浴びて泳ぐという「かっこよ!」なシーンが入っている。
なんでそこだけ、プロモーションビデオ?しかもその人てw
AI先生が描いた「青い鳥」This art is created by #aipiacasso