『傲慢と善良』架(かける)と真実(まみ)はマッチングアプリで知り合った。東京で親の事業を継いで社長業をする架はルックスも良く、女性側からは引くて数多だが、自分を見る女性の視線に嫌気がさしていた。そんな時に出会った純粋で素朴な真実にひかれ、架は付き合い始めた。一年後、結婚を控えたある日、真実が失踪した。手掛かりを探すために真実の家族や同僚、地元の人々に話を聞きに行くと、架の見えなかった真実の一面が見えてきた。そんな時真実からのメッセージが架のスマホに届く。
「真実
全部、お話します」
恋愛と結婚は違う。
早速ですが、ここからは毒女が独り言りますのでご容赦をm(_ _)m
上記を是とする人は、結婚は条件だと宣言してるってことですよね?
いえいえ、批判してる訳ではなくて、全面的に賛成です。
この映画の下敷きになっているのは、映画にも出てくるイギリスの小説『高慢と偏見』で、19世紀初めのイギリスの「格上だ、格下だ、やれなんだ」という階級社会に生きる若者たちの恋愛模様らしいんだけれど(wiki知識)、翻って現代日本。
かつての見合い結婚を敬遠して皆が恋愛結婚を選ぶようになったけれど、時代は巡って結局は新しい見合い様式であるマッチングアプリが隆盛を誇っている。
結局、恋愛じゃなく自分が結婚するに値する人は条件次第。
「この私に合う人を」
恋愛だったら、「あなた好みに染めて。うふっ」なんてやってるけど、結婚となったら容赦しない。
「私は自分を変えたくはない。そのままでいれる人を選ぶ」となる。
映画に出てくる貫禄十分、前橋のお見合いおばさん前田美波里先生が、架相手に今の若者たちを一刀両断する。
「今の若い人たちは傲慢で善良なんですよ」と。
「私なんか」と自己肯定感が低く親に従順な一方で、自己愛が強く条件が「自分様」に合うのかをシビアに見定める。
社会を隔てるような明確な階級がないからこそ、一人一人が物差しを持って相手を品定めする。
でも、その物差しはやっぱり「この人と私が一緒にいたら釣り合うでしょう」と思わせてくれる社会からの評価。
でもって、自己愛が強いから、側からすると「ん?ちょっとあなたに対してハイスペックだよね」あるいは「ん?ちょっと出来過ぎた人だよね」なんてなっちゃう。
自己肯定感は低くても、自分は大好きだから相手選びにはそれが投影されて、ちょっと自分にはズレてる人に固執するということなのだろう。
あと美波里先生、こうも言ってました。
「結婚するのは何が欲しいのかはっきりビジョンを持ってる人だ」と。
映画館で一人膝を打ちました。
心して来世は婚活にチャレンジしたいと思います(合掌)。
真実は、身を寄せた地方でみかんの収穫を手伝うことになる。
傷ついたみかんを仕分けしながら、市場に出せなくなったみかんに自分を重ねた真実。
真実に心を寄せる同僚は「傷ついたみかんは、より美味しい」と慰める。
ん?みかんといえば腐ったみかんの方程式。
傷を越えて腐ってしまったら、他も腐らせてしまうやん(by桜中学職員室)。
ち、違う!人間はみかんではありましぇ〜ん!
AI先生が描いた「ウェディングカップルの後ろ姿」This art is created by #aipicasso