参上ルルのブログ

映画を観て思ったことを徒然と。

オアシスは部屋の中

『オアシス 4Kレストア』韓国の巨匠イ・チャンドンのレトロスペクティブの一本。2002年作品。迎えが誰もいない中、刑期を終えて出所した青年ジョンドゥ。ある日、被害者家族の家に謝罪に訪れた彼は、脳性麻痺の同じ年頃の女性コンジュと出会い、恋に落ちる。

 

2002年の初上映の時ではなかったにしても、特別上映か何かでこの『オアシス』は以前観た。

記憶の中では、知的障がいのある若者と脳性麻痺の女性の裏悲しい恋愛物語だったはず。

その時だって子どもではなかった。が、今回改めて観て「おや」と思った。

なんか、今現在の視点で観ると、印象が変わるのだ。

まず、青年ジョンドゥだが、自分の欲求に忠実で、周りから浴びせられる視線は全く頭には入ってこない。

少し知性に欠ける印象を残すが、母になけなしの持ち金で服を買ってあげたり(母はそんなのいらないが)、兄の身代わりとなり交通事故を起こしたとして刑務所に入った経緯がある。

他人の身になって考えることはできないが、他人の身を案じることはできる。

こういう人、身の回りにもいっぱいいる。

 

なんか違った、その2。

恋人となる脳性麻痺のコンジュとの出会いなのだが、ジョンドゥは一目ぼれした後、次は部屋に忍び込み力ずくで手込めにしようとした。

けれど、身体の自由が効かないコンジュの力一杯の抵抗にあい、挙げ句失神させたところで、驚いて水をかけて意識を回復させて逃げた。

その後、改めて謝罪に行ったジョンドゥをコンジュは受け入れる。

ここ。

未遂だったとはいえ、失神するくらい嫌な目にあわされた男を受け入れるだろうか。

一昔前の日本映画でも、レイプされた男をその後好きになるという話をちらほら観たけれど、それってほんとぅ???

寧ろ、心に傷を負わされて一生恨み続ける、って方が自然ではないかしら。

でも、『オアシス』の場合は、そういう「男の妄想でねぇの?」という思いも、ストーリーが展開していくにつれて溶かしていく説得力があった。

 

コンジュのようなクリアな頭脳を持ちながら重度脳性麻痺を患っている状況だと、「もうこういう異性は現れない」と悟ったのではないだろうか。

言ってみれば、ジョンドゥは軽率でバカなのだけれど、自分の非を詫びに再び現れる率直さがあり、発音に困難があるコンジュを面倒臭がらず普通のことのように拙い言葉に耳を傾けてくれる。

筋肉の歪みで一見分からない生来の顔立ちも「よく見ると綺麗だ」と言ってくれたジョンドゥ。

彼女を喜ばせたい一心で、身体の障害をものともせずコンジュをどんどん外に連れ出していく。

家族からも独り隔離されて生きてきたコンジュと家族に疎まれるジョンドゥは、生涯の恋人となった。

最後には、世間一般という顔をした互いの家族が二人に立ちはだかり…。

 

前回観た時は、二人が自分とはかけ離れた存在に感じられて傍観者だったけれど、今回はより二人の内面に触れた気がした。

家族の一貫してとる行動は、変わらず分かり味は深いのだけれど。

 

コンジュの部屋に、「オアシス」というタイトルの壁掛けインテリアがある。

ある日、中からインド象と、女性、子どもが飛び出し、健常者の身のコンジュとジョンドゥがキスをするのを祝福する

また別の日には、地下鉄のホームで電車を待つ間、車椅子からコンジュが立ち上がりジョンドゥとダンスする

いずれも、コンジュまたはジョンドゥ、あるいは二人の頭の中に繰り広げられる幸せな幻想なのだけれど、どの現実よりも美しいカップルのシーンだった。

 

AI先生が描いた「インド象と少年」。This art is create by #aipicasso.