『アレクセイと泉』ポレポレ東中野で <37年目のチェルノブイリ>と題した特集上映中。
日本人の本橋成一監督のドキュメンタリー『アレクセイと泉』(2002年)を鑑賞した。
坂本龍一が音楽を担当している。
チェルノブイリから程遠くないベラルーシのブジシチェ村に向かうカメラ。
舗装されていない森の一本道を車でガタゴトと進んでいく。
アレクセイのナレーションは、事故後、政府は村民たちに退去を求め、廃村として地図上からその名前を消したことを説明する。
しかし一部の老人達は村に残ることを決め、小児麻痺の後遺症で少しだけ足を引き摺るアレクセイも唯一の若者として両親と残った。
ブジシチェ村の放射線量の測定では、生活する場のいたるところから放射線が検出されている。
水道のないこの村で、村人が頼りにしている泉を除いては。
村の暮らしは、四季を通して彩りに満ちている。
ジブリの中に出てくる村ですか、ここは。
朝、暗いうちからお婆さんが起き出して豚の餌作りを始める。
大きな竈に火を入れようとすると、そこを寝床にしている飼い猫が慌てて飛び出してくる。
お婆さんは、「さっさと起きて」と言わんばかりに知らん顔で作業を続ける。
様々な家畜を飼い、じゃがいもを収穫し、薪を割り、カゴを編み、毛糸を撚り、機を織る。
毎日、誰もが自然に従いながら朝から晩まで働き詰めだけれど、生活は温もりに満ちている。
収穫祭には、色とりどりのオシャレなスカーフで頭を覆ったお婆さんたちが陽気にダンスして、お爺さんたちは酒が回って傍で座り込んでいる。
微笑ましくも郷愁を誘う村の宴の一コマ。
あと何回開催することができるのだろう。
村に何年かぶりに町から司祭が訪れ、泉と村人に祝福を授ける。
「汚された大地に生きる皆さんの精神と身体がこの泉によって癒されますように」
一心に祈りを捧げる村人達。湧き続ける泉。
村で唯一、何故か放射線が検出されない奇跡の泉…。
坂本龍一がこの作品の中で唯一紡いだ不穏な音。
上映後、本橋監督の舞台挨拶が聞けた。この映画からさらに22年。
60歳近くになったアレクセイは村を離れ町で暮らしているそうだ。
それはそうだ。
水汲みにしたって、なみなみと汲んだバケツ二つを木の棒の両側に下げて、ヨイショと棒を肩に担いで1日に何回も家に運ぶ。
これが出来なければもう村では生きていけないし、助け合う隣人がいなければ離れるしかない。
監督はこの村の今について語っていなかったが、
人間の手で汚された美しい大地は、永遠に人間の手から離れたのかもしれない。
AI先生が描いた「森」のイラスト。I created this art by #aipicasso