参上ルルのブログ

映画を観て思ったことを徒然と。

アインシュタインが激似

オッペンハイマー』第二世界大戦下、ヨーロッパに学んだ物理学者オッペンハイマーアメリカ国家の極秘プロジェクト「マンハッタン計画」の責任者に抜擢される。そのために共産党員との表立った関係も絶った。マンハッタン計画とは、まだ世に存在しない原子爆弾の研究開発。チーム内の軋轢や政府からのただならぬプレッシャーに相対しながら、オッペンハイマー原子爆弾の開発に成功、原爆は日本へと落とされた。一躍、時の人となったオッペンハイマーだったが、政府のさらなる水爆開発路線に反対し、窮地へと立たされていく───。オッペンハイマーの栄光と没落を描いたアカデミー作品賞ほか本年度7部門最多受賞作品。

 

2023年7月に全米で公開され、アメリカはもとより世界的大ヒットになった作品(世界興収10億ドルにせまるそう)。

日本では、原爆の描き方や、アメリカでの同時期公開のヒットコメディ映画『バービー』と掛け合わせたネタコラ「バーベンハイマー」が大量に出回ったことで国内に拒否反応が起こり、公開は見送られていた。

夏が過ぎ、冬も過ぎて本作に関する話題も出なくなってしばらくたった2024年3月に、大手の配給会社ではなく中堅配給会社ビターズ・エンドの決断により日本公開が敢行された。

 

わたしはクリストファー・ノーラン監督が好きなので、単純に彼の作品が観れて嬉しいな、と思って観に行った。

感想はというと、天才でキャラが濃ゆい一人の物理学者の嫉妬心、探究心、顕示欲、虚栄心、孤独、後悔、苦悩などがギュッと詰まった伝記映画で、ドラマチックな人生はまあ普通に面白かった。

天才過ぎた主人公に共感できなかったのは、監督の観察してる風な撮り方に乗せられていたからかもしれない。

あ、それと主役に笑顔の印象が全くないこともあるのかも。

 

そして、気になる「日本人としてどうなの」っていう点は、日本で怒る人もいるだろうなということはとても分かるところで、わたしの感想もそれを引きずったのは否めない。

広島や長崎に実際に原子爆弾が投下された映像はない。

ただ、ニューメキシコでの最終実験の場面はあり、オッペンハイマーを始めとする他の開発研究者たち、政府の役人などが安全が確保された場所からその威力を目撃する。

何キロも離れたところからでも分かる爆炎、爆音、爆風、衝撃波。

ここでわたしたち日本人は、脊椎反射でその直後から広島市街、長崎市街で繰り広げられた地獄絵図が勝手に脳内再生されるのだ。

映画の中では、苦労の末の成功だから、「オーマイガー」「ヒュ〜ヒュ〜」「やったやったー!」の、やんやの大喝采なのだけれど、こちとらの脳内は違う映像が静かに流れていてそっちに気を取られる訳なんです。

小さい頃から、だてに「はだしのゲン」を読み込み、幾多の夏の戦禍映像を見て大きくなったわけじゃない。

かなり意識が自分の脳内再生に入り込んで、映画自体のストーリーがそっちのけになってしまうことは確か。

ここが、日本人にこの映画そのものを客観的に観る、ということを難しくしてるのだと思う。

 

原爆の惨禍を知っている日本人には、終戦直前の「ヒトラーは死んだ。日本はもたない」というセリフに、終戦後を睨んだソ連への威嚇という背景を知っていても「では、なんで …!」と客席でひとり憤慨する。

トルーマンが原爆を投下する候補地の検討会で「京都は新婚旅行で行って、とても良いところだったから候補地から外す」というセリフには、日本人以外の観客も呆れただろう。

けれど、日本人のその呆れ果て度合いは比べ物にならない。顎が外れるぐらいだわ。

そして極め付けは、オッペンハイマーが、(アメリカ人が殺される)戦争を集結に導いた時の人となり、集会所で喝采の中スピーチする場面。

原爆の威力のすさまじさを知ったオッペンハイマーは、集会所の人々の中に、皮膚が紙みたいにピラピラ剥がれそうに靡いている女性や、足元に黒焦げの死体の幻覚を見る。

いやいや(失笑)、そんなもんじゃないですから!

 

日本の戦後の平和教育は、特に原爆の悲惨さを知るということにおいては、成功しているんだろうと思う。

ただ、映画の中では「ドイツ、ソ連に先を越されてしまう」というセリフでハナから眼中になかっことが詳らかになるけれど、同じ時期日本でだって仁科博士が原爆研究していたということを忘れちゃいけない…。

おっと、オッペンハイマーという男の話だった。

 

AI先生が描いた「オッペンハイマー博士」This is created by #aipicasso