『あちらにいる鬼』作家・井上光晴と瀬戸内寂聴、そして井上の妻との三角関係をモデルに、井上の娘・井上荒野が上梓した小説を映画化した。
最近(か?)、生活にとんとセクスィーが足りないと思いたち、『あちらにいる鬼』を鑑賞に。
寺島しのぶが主演で相手がトヨエツとくれば、間違いないでしょう。
しっとりねっとりじっとりねっちょり。怨嗟、情念、嫉妬、執着、憐憫…。
さあ、めくるめく愛憎世界カモーン!
市民に小説講座を開くなど積極的に活動し、おまけに悪意なく次々と女性関係を開拓していく小説家、井上光晴、役名白木篤郎に豊川悦司。
1966年の二人の出会いから物語はスタートするのだが、着物を着て日傘を差した寺島しのぶほど古き良き昭和の風情が似合う現代の女優もそういまい。
ちなみに、トヨエツは、白の開襟シャツにカーキといえばカッコ良いがラクダ色のチノパンという通常運転。
そしてこのゴールデンコンビの間に割って入るのが(話し的には反対だけれど)、白木の妻、笙子役の広末涼子だ。
はて、ここに広末?
デビューの頃から広末涼子と寺島しのぶを見てきた同世代の身としては、二人はジャンルが違うというか…。
言うなれば、広末涼子は少女漫画で、寺島しのぶはレディースコミックという感じ。
この映画は、ザ・寺島しのぶとその仲間たち、でしょう。
みはるが愛人の座についてから後、白木の女癖の悪さに怒りくるい、嫉妬し、対抗して男を作ったりする。
他の愛人さん達も似たり寄ったりで自殺未遂をして気を引いたり、正妻と暮らす家に押しかけたりと、一向に見返りのない白木への愛に皆が一人悶え苦しむのだ。
そこにレイヤーの異なる広末が降臨する。
妻の笙子は、自殺未遂の末入院している愛人の見舞いに行ったり、愛人の元に夫が行っている間に一人で出産したり、押しかけてきた愛人を家にあげてお茶を入れたりする。
夫に対して、悲しみの声を上げたり、怒りに委せて詰めたり、恨んだりが一切ないのだ。
図らずも、元愛人さんと惣菜のやり取りをしているのを知った実妹が姉に対して「ウチみたいな一般人には理解できんばい」(正確さはご容赦)と言ったのは、寺島ワールドでは、まさに異人の役割を担っているという表現だったのだ。
覚悟を決めて、みはるが出家するということを知り、笙子はみはるの愛する自分の夫を、みはるのもとに送る。
夫が留守の間に、笙子は夫の知り合いと浮気をしようと試みる。
この行動だけが、笙子がみはるの世界に入り込もうとした瞬間であった。
AI先生が描いた「尼のイラスト」。I created this art by #aipicasso.