『ジェーンとシャルロット』1991年に亡くなったセルジュ・ゲンズブール。フランスで一時代を築いた稀代の文化人(作曲家、作詞家、映画監督、歌手、俳優)の娘であるシャルロット・ゲンズブールが、初めて監督として母であるジェーン・バーキンを撮ったドキュメンタリー。ジェーンは、映画完成後の今年7月に逝去。
何を隠そうわたしは、10代から20代にかけて、この美しい母娘にかぶれていた。
娘のシャルロットとの出会いが先だったのだが、デビュー作の『なまいきシャルロット』を観たときは、あまりの可愛さにぶったまげた。
線の細い、というより線の境界が曖昧な儚い少女。
目と唇だけが潤んでいて存在をアピールする。
日本で同じジャンルの美少女といえば、数年後に現れた裕木奈江だと思うのだが、お国柄の違いなのか、同じロリータだとしても全然違う。
子犬の潤んだ黒目がちな目が共通点とした場合、裕木奈江が柴犬だとすれば、シャルロットはビションフリーゼ。
柴犬の輪郭がビシッと犬というのを形作って毛色も濃いならば、ビションは白いマルチーズの毛がもっとふわふわもこもしたバージョンで形自体が心許ない。
シャルロットは「幼児ですか」って童顔で時折思春期の不満顔を見せながら、ボーダーシャツから出た超長い腕とツンツルテンのデニムからニョキっと出た超長い脚を手持ち無沙汰に投げ出していた。
この絶妙なアンバランス加減。
人生で初めて人間を見て「はぁ〜っ」と思いましたわ。
その後、時代を遡ってシャルロットの母であるジェーンの『ジュ・テーム・ノン・モワ・プリュ』を鑑賞。
好きな男の子がゲイだと知って、ボーイッシュに変身し文字通り身体を張って彼に好いてもらおうとする健気な女の子を熱演。
こんなにスタイリッシュでイケてる女の子がこんなことを…!?
彼女のモデルのような美しさと映画の過激な内容で、こちらもガーンと頭をぶん殴られたような衝撃だった。
その二人をそれぞれの時代のアイコンへと押し上げたのがプロデューサーであるセルジュ・ゲンズブール。
歳の離れたパートナー、ジェーンとのカップルフォトがとても洒落ていて、彼らの存在を知った当初は何枚も集めたっけ。
セルジュ自身は、顔は言うてもダボハゼっぽくて全然整ってはいないのだけれど、いわゆる雰囲気イケメン。
しかも若さを売っていないイケオジなので、やたら渋くて余裕があってかっこ良かった。
ゲンズブールは、まずパートナーのジェーンを、不良オヤジとつるむぶっ飛んだロックな美少女という見せ方で時代のアイコンとし、その後、娘シャルロットをただただ愛らしいフレンチロリータの権化として時代に送り出した。
けれども、どちらもおっさんゲンズブールの影をちらつかせるので、淫雛な暗さがチラチラするのだ。
そんな二人が、ゲンズブールが亡くなって30年経った今、カメラの前で語り合う。
ジェーンとゲンズブールの離婚で離れて暮らしたこともあるが、他に類を見ない母子関係。
母はカルチャーを席巻したセックスシンボルであり、娘はパートナー(父)により、若い時分に世界から性的対象となるロリータに仕立てられた。
愛情、憧憬、嫉妬…いかなる感情が二人の間にあったのだろう。
お互いに傷つけないように、周りから外堀を埋めていくように積み上げられる会話。
でも、どちらからも愛情はカメラを通して十分に伝わってくる。
二人の辿ったそれぞれの波乱万丈な人生を思わずにはいられない。
今年の夏にこの世を去ったジェーンは、カメラの前ではシミもシワも隠さない年相応の女性だった。
年齢隠しに躍起になる日本の美魔女とは別モノだ。
でも、撮影となるとそのありのままの容姿で、シャツの前をはだけポーズをとりカメラをしかと見つめ返す。
妻でも母でもなく、経験を積んだ一人の女性。
その佇まいに圧倒される。
エンドロールで流れるジェーンの詩の朗読の一節「あなたのために完璧になりたい」は、最後まで確かに体現されていた。
AI先生が描いた「ジェーン・バーキンとシャルロット・ゲンスブール」I created this art by #aipicasso