参上ルルのブログ

映画を観て思ったことを徒然と。

福田村を忘れるな

『福田村事件』1923年関東大震災という未曾有の大震災が起きた数日後、千葉県の福田村で、たまたま村を訪れていた薬の行商団が村の自警団に襲われた。行商団は彼らにとって聞き慣れない讃岐弁を話していたため、朝鮮人に間違われて殺されたのだ…。これまで隠されてきた事実に基づいたフィクション。『A』『FAKE』などのドキュメンタリーで知られる森達也の長編劇映画。

 

今年で関東大震災で100年なのだそうだ。

その間、何が変わったのだろうか。

戦争を経験して生活様式が変わり、豊かになりコンプラ的な社会ルールや常識も変化した。

でも、井浦新永山瑛太田中麗奈が昔の衣装を着て100年前を演じていても、どうも100年前という感じがしない。

同世代でも飛び抜けてスタイルが良く、顔も現代的な彼らにはどうしても「いま風」が醸し出されてしまうのだろう。

特に瑛太田中麗奈は、行商団の親方と都会からきたモダンガールという役回りなので、服装がド派手な半纏とレトロドレスといった、なんなら今の原宿とかにいそうなアヴァンギャルドテイストなのだ。

主要登場人物のそのような造詣も、観る側がすんなりと今と変わらない話として違和感なく没頭できる要素になっているのかもしれない。

 

日本に虐げられてきた在日朝鮮人が、混乱に乗じて日本人に復讐している───曰く、井戸に毒を投げ入れている、日本人を集団で襲っているなどなど。

誰もそれを見てはいなくて、「どこの誰々が言っていた」「あそこで襲撃があったらしい」で地方から地方へとどんどん噂が広まる。

真に受けたのか、はたまたこれ幸いと噂に乗っかったのか、自治体も暴力的な朝鮮人には自警団を作って身を守れという条例を出す始末。

震災後の不安な状況で誰もが情報に飢えている状況で、それらしいハナシが人々の間に投げ入れられると、あっと言う間に食いつかれ共有され、さらに大きな輪へとバトンされていく。

 

100年経った今でもそれは変わらずで、ツールが風の噂からSNSに変わっただけ。

さらには、情報量は格段に増えたし、情報の真偽を見極めるのもますます難しくなっている。

「何が起きた、これからどうなる?」という暗闇の中で、流れてきた情報が正しいか正しくないかを判断する余裕があるのか。

ましてや、自分が普段気付いてないような負い目を詳らかにされて、それが原因でさらに悪い状況になるなんて聞かされれば、余計に心配になって聞き流すことはできないだろう…。

けれども、けれども。

100年後に生きる人間として、いざという時にはこの福田村事件が実際に起こったんだということを心に刻んで行動したい。

 

主要登場人物の中で、もう一人言っておかなければならないのが東出昌大

実は、これまで端正すぎる顔とモデル体型、穏やかな口ぶりにばっかり目が行って、感情が通じていないお人形さんみたいだなあと思っていたのが本音。

でも今回の映画を観て、イメージがガラッと変わった。

村の中のアウトローなのだが、女性にはいたってモテる役。

それが納得できるセクシーさムンムンなのだ。

プライベートの騒動を乗り越えて、東出昌大全開放か。

 

AI先生が描いた「村の地震」I created this art by #aipicasso