参上ルルのブログ

映画を観て思ったことを徒然と。

いつだってアヴァンギャルド

ツィゴイネルワイゼン』1980年制作。鈴木清順監督生誕100年を記念して<4Kデジタル完全修復版>を上映。内田百閒の『サラサーテの盤』他を原作とし、現実に入り組んだ幻想や死の世界などを幽玄な映像美で繰り広げる。ちなみに、鈴木清順は元NHKアナウンサーの鈴木健二の兄。


原田芳雄演じる中砂は旅行先で女の殺人容疑をかけられたところ、友人である大学教授の青地(藤田敏八)に助けられ、投宿先で芸者の小稲(大谷直子)と出会う。

この3人と後に中砂の妻になる園(大谷直子の二役)、そして青地の妻、周子(大楠道代)の5人を中心に織りなす幽玄な世界。

誰か虚言を吐いているのか、全員なのか。あるいは誰かの夢なのか、妄想なのか、登場人物は死んだのか、入れ替わったのか、そもそも実在したのか…。

んー。なかなかです!

これは誰かと一緒に観て、観終わった後に互いの考察を披露し合うのが愉しい鑑賞法かと。

例えば。

中砂の家を青地はよく訪れるのだけれど、その中砂邸への道中というのが山を人が通れるくらいに開削したいわゆる切り通しで、両側に岩山がそそり立っている。

周りに人家などないし、中砂邸にのみ通じる一本道だ。

中砂は生活を旅に捧げ、ほとんど家を空けているが、それでも中砂が家庭を築きいずれは帰ってくる中砂のベースとなる屋敷。

かなり高いところを登ったところにあるのに、何故か屋根に石が落ちてくるところ。

園、そして乳母となる小稲が中砂の留守を守るこの屋敷は、時が経つにつれ入るのにどんどん覚悟がいるようになってくる。

わたしは、この中砂邸に続く切り通しが、『千と千尋の神隠し』のトンネルに重なった。

どこへ繋がる道なのか…。

などなどワンサカ。

 

ツウにはたまらない難解なストーリーともう一つ、世界から評価されているのが「清順美学」と呼ばれる独特の映像美。

ズブの素人の目から見ると、寺山修司とか前衛演劇とかそういうカテゴリーなのかしらと思った。知らんけど。

死んだ女の股から出てくる真っ赤な蟹。

男の眼球を舐める美女。

三角関係の男同士が対決する中、大きな桶に乗って海に流される盲目の三味線芸人の女。

ストーリー上で重要かと言われるとそうではないのだけれど、鑑賞後に曖昧で掴みきれない余韻を味わっていると、フラッシュバックのようにこれらのシーンが蘇る。

 

キャラクターも、それぞれが劇画キャラのように濃ゆい。

特に、やっぱり原田芳雄

長髪が長じて左目は隠れていて右目だけで眼光鋭く相手を射る。

アイシャドウもバッチリで存在感もまんま男・月影先生と化している。

藤田敏八もガタイの良い夏目漱石だし、大楠道代は崩れることのないモガ。

そんな濃ゆさが渋滞しているキャラの中で、わたしの中で勝手に清涼剤にしたのがこの二人。

まずは中砂と青地が小稲と会う宿にいた仲居の佐々木すみ江

原田芳雄相手に「今日はね、あいにく芸者がみんな出払ってて〜」と説明するのだけれど、ここのやりとり。

この映画特有の重さがなく、素の原田芳雄佐々木すみ江の楽屋に出向いて軽く世間話している感じ。

軽っ。

こういうのもいけるんじゃん。

あともう一人は、この宿の厨房で鰻を捌くキミちゃん演じる樹木希林

鰻を捌いては肝だけ持ち帰り、病弱の夫に与えて生きながらえさせてるという噂の主。

印象的なエピソードだけれど鰻をとるキミちゃん自体は、とてもイキイキしていて健康そう。

樹木希林は若い時から老け役おばあちゃんばかりの印象だったから、若さ溢れる樹木希林は新鮮。

やってることはエグかったりするのだけれど。

 

AI先生が描いた「カニ」のイラスト。This art is created by #aipicasso.