『グロリア』1980年アメリカ映画。下高井戸シネマでの特集上映「ジョン・カサヴェテスxジョナサン・デミ」の中の一本。家族をギャングに殺された少年を託されたグロリア。犯罪組織を相手に女一人立ち向かう。
東京に、ボコボコとミニシアターがあった頃。
いつかは高名なジョン・カサヴェテスの映画に当たるだろうと思ってたのだけれど、門も叩かないぐうたらなわたしには何も開かれずで、いつの間にか幾星霜。
今回やっとあの有名な『グロリア』がかかるということで、駆け参じた。
わたしがイメージするニューヨークがそこにはあった。
汚い街、揉め事がいつ起こるのかと身構える地下鉄、安モーテルの廊下をうろうろする娼婦。
そして一番印象深いのが、カッサカサに乾いた黄色い質感。
画面全体に湿り気ゼロなのだ。
これはどういう事だろう。
最近の、例えば『ジョーカー』に映るニューヨーク改めゴッサム・シティは、青味が深くて暗い。そして影の中までくっきり映し出すから、とても重量がある。
フィルムからデジタルへ、屋外のロケで使う照明も進化しているせいもあるのかもしれない。
でも、いつまで経ってもわたしの中では、ニューヨークは吉田秋生の漫画にも描かれている、重さがなくて疾走感があって薄汚くて乾いているカッコ良さなのだ。
行った事ないから知らんけど。
登場するメイン二人も、雰囲気に全く負けないニューヨーカー(わたしのイメージの中の)。
ギャングを向こうにまわして立ち回るカッコいい女・グロリアと、空気を全く読まない自己中な子ども、あるいは子どもらしさを存分に発揮するフィル。
グロリアが「子どもを頼む」と母親から懇願された時に返したセリフがイカしてる。
「子どもは嫌いなの。特にあんたの子どもはね」
ヒール履いて片手にトランクをぶら下げながら反対の手で走行中の車に銃をぶっ放し、しかも乗ってる人間を皆殺し、ってハードボイルドがすぎる。
かっけー。
実は、このグロリアを見ていて思い出した人がいる。
取引先のベテラン社長。
まず顔がデフォルトで険しい。
そして威圧感を纏っているので、打ち合わせ中になんか発言しなきゃいけないとなると、わたしなんていつもアワアワしてしまう。
そして、不用意なことをしてしまうと、容赦なく追求される。
その恐ろしさたるや…。
けれど、この社長、一生懸命やっていることは見ていてくれて、頑張った上での窮地となるといつも助け舟を出してくれる。
片頬を上げるニヒルな笑顔をくれながら。
カッコいい女は、いつの時代もやたらと愛想は振りまかないものさ。
AI先生が描いた「映画グロリアのイラスト」I created this art by #aipicasso