『怪物』大きな湖を取り囲むある地方都市。シングルマザーの早織は、一人息子・湊の最近の異変に気づく。口が重い湊が言うには、担任から体罰を受けているらしい。早織は、話し合うために学校に向かう───。
是枝裕和監督の最新作。日本公開に先立ち出品された第76回カンヌ国際映画祭では、脚本賞(坂元裕二)とクィア・パルム賞をW受賞した。
是枝好きのわたしとしては、事前になるだけ情報を入れないようにして日本公開を待ちわびていたのだが、カンヌで脚本賞を取ったのは、いわく、一つの事柄を3人の異なる視点で描き出す三部構成をとった羅生門スタイルが評価されたから。
二人の男の子が主役で、クィアの賞っていうことは…。と、名誉の副産物として知りたくない情報もガッツリもたらされた(涙)
大きな話題になっているのをちょっと恨めしく思いつつ劇場に向かったが、美しい音楽(坂本龍一)にのった美しい映像で紡ぎ出される繊細なストーリーにすぐに没入した。
※ここからは、わたしの考えるネタバレになってしまったので、これから映画を鑑賞予定の方は読まれない方が楽しめると思います。
やっぱりどこでも語られていることではあるけれど、少年二人の演技が素晴らしい。
ちょっと背の高い湊は、お母さんが女手一つで自分を必死に育てているのが分かっている。
わがままも言わずお母さんに迷惑をかけないように。
本心を打ち明けるのが苦手だから、決して暗いというわけではないんだけどちょっと内向的に見えるかも。
依里は、クラスの中でも背が低め。天真爛漫な物言いの不思議ちゃん。
斜め上からのショットで分かるラクダみたいな長いまつげと白い肌が相まって天使のよう。
羅生門スタイルの最後は湊の視点で依里や母、先生との関わりを見せるのだけれど…ん?クィアってなんだっけ?
ネットの定義では、性的マイノリティ云々と出てくるのだけれど、果たして湊は?
小学生の高学年に上がる頃は、クラスの村社会が人生の全て。
仲間はずれにされたくない。空気は読むためにある。輪を乱さない。
そのためには、村の外部には嘘だってつく。
村内にあってそこを打ち破ることができるのは、相当なメンタル強者。レベルが違う。
右向け右のモブ生徒だとしても、個人的な欲求は心をちょろちょろする。
自分に当てはめると、あの頃は村社会の中にあって異性よりも同性の友達に一喜一憂していた。
あの子が嫌い、いや好き。気になる。
もっと仲良くなりたい。他の子と親友にならないで。わたしが一番になりたい。
「友情?まさか恋?」なんてとこまでも考えが輪郭を持ったことなんてなかった。
ただただ、モヤモヤモヤモヤ。
そして、そのうち他に興味が出てきて前のモヤモヤは霧散していく。
人によってはそのもモヤモヤが育って形作られるのかもしれないけれど、
湊が体験した揺れ動く心情は、多くの人が経験したことのようにわたしには思えてならない。
クィアではないと思うんだけれど…、いや皆がクィアということなのか?
映画を観終わった後、ああでもないこうでもないと一通り咀嚼し終わったら、萩尾望都の名作漫画『トーマの心臓』をオススメします。
少年たちが心のモヤモヤをストレートな行動とセリフで表現してくれるから、スッキリします(笑)
AI先生が描いた「少年二人のイラスト」I created this art by #aipicasso