参上ルルのブログ

映画を観て思ったことを徒然と。

いつか孤城が開かれますように

かがみの孤城』学校に行けないこころは、かがみの向こうの城に招集される。

そこには同じような境遇の中学生が6人集められ、城のオオカミからどこかにある鍵探しを持ちかけられる。

鍵を1年以内に探すことが出来れば、願いを叶えるというが───

 

原作は2018年に本屋大賞を受賞した辻村深月の小説。

ストーリーに幾つもの仕掛けが埋め込まれていて、パーツが順番に揃う推理的な面白さで最後までだれることなく引っ張っていく。

児童文学なのかもしれないが、大人でも十分にノれるストーリー。

 

ただ、この映画が観客の心をぎゅっと掴むのは、城に集まる中学生たちが学校や家庭で抱える不安、恐怖、孤独、罪悪感の揺れ動きではないだろうか。

これらの感情は、大人になってももちろんあるが、学校と家庭しかない世界に生きている子どもでは逃れる術を見つけるのは簡単ではない。

こころは、同級生の陽キャで教師をも手玉にとる真田からイジメを受けている。

そんな中でも、こころは凛とした転校生の萌と打ち解けるが、それを見た真田がすぐにこころを孤立させるため萌を仲間にひきずり込む。

こころの傷ついた心情が描かれるが、後になって萌の心情も分かってくる。

 

わたしは、この二人だけではないと思った。

周りの何も描写されない子どもたちもぐらぐら揺れているはずだ。

映画は否応なく、自分の子ども時代を思い起こさせた。

同じ経験はなくても、子どもの時のグレーな記憶は、苛烈の差はあれ誰しも持っているのではないだろうか。

わたしの小学生時代には、核となるいじめリーダーはいなかったが、無視などのいじめは絶えずあった。

女子たちを取り巻く空気自体がいじめを醸成していた。

それはまるでシーソーならぬ、中心が支点になっている円盤。

そこに教室の女子たち全員が乗り周囲を注意深く伺っている。少しでも重心が偏るとみると、瞬時に重みある方に移動して、自分が浮き上がらないようにするのだ。

結果、うまく立ち振る舞えなかった子、空気が読めなかった子が次のダーゲットになる。

ある日、校庭の菜園での作業のこと。

わたしは、土いじりしながら何の気なく近くにいた女子に話しかけたのだが、顔を上げてハッとなった。

相手は、その時無視のターゲットにされてる子だったのだ。

わたしの顔には、愛想笑いをしつつも「しまった」と大きく書いていたに違いない。

でも、その子は「無理しなくていいよ」と言い、どこかに行ってしまった。

わたしは、次のターゲットにはならず、その子もほどなく多数側に合流した。

この記憶が、映画を見ながらじっとりと蘇った。

 

映画の結末は、いじめがどうなるかは描かない。

勧善懲悪もない。

ただ、こころも同級生もひとつ学年が上がり、生きていくのだ。

AI先生が描いた『狼の少女』I created this art by AI Picasso #aipicasso