参上ルルのブログ

映画を観て思ったことを徒然と。

誰かいい人は…いるんですけど!

『エゴイスト』コラムニスト高山真の自伝的小説の映画化。

主人公と同性の恋人、そして恋人の母親の3人が織りなす物語。

 

濃いブルーのシーツの上に裸で抱き合う鈴木亮平宮沢氷魚

ポスターの美しさと漂う背徳感に惹かれて、Youtubeで本予告を何度も何度も再生して、胸いっぱい妄想いっぱいで、いざ映画館へ。

 

思った通りの、とても美しい二人───。どこを切り取っても絵になる。

が!に、しーてーも!

予告にやられた!

ストーリーが全く思いもしない展開だったのだ。

予告を観てから映画を観た人なら、九分九厘が「やられた!」と思ったことだろう。

制作陣は、してやったり。

あ〜、ぐやじいい。

 

どこかどうなのかは、実際にご覧いただくとして、映画自体はとても美しく、ゲイである鈴木亮平演じる浩輔の恋愛、そして人生の苦悩を丁寧に描いている。

浩輔の新たな恋人は、年下で、女手一つで育ててくれ今は病身になってしまった母を支えながら生きる龍太。

編集者として成功し東京でキラキラ輝きを放ち生きている浩輔と、低学歴ゆえの貧困のなか日々を過ごす龍太には経済格差があった。

男娼として生計をたてる龍太が、浩輔との仲が深まるにつれ生業に支障を来たすとして別れを言い出すのだが、龍太は毎月の生活費の援助を申し出るとともに、肉体的にはキツくなるガテン系の職業のかけ持ちを龍太に約束させる。

浩輔の援助について、龍太は大いに躊躇し断り続ける。

 

ふとここで思う。

これが同じ境遇で、龍太が女性だったらどうなのだろう。

裕福な年上男性が、恋人の貧しい若い女性に援助をする、といったら、ここまでドラマになるだろうか。

実際にはどうかは分からないが、物語の中ではそれほど当人たちにとっても軋轢を生まないし、観ている側にとってもすんなり受け入れる話なのではないかしら。

(『プリティ・ウーマン』のジュリア・ロバーツは恋仲になって逆にそれを拒んだから目をひく物語になった)。



同性カップルは、現状は日本で結婚というゴールがなく、たとえカップルでも相手に依存心を敢えて持たないように、一人で最後まで生き抜く決意をしているのかも。

映画全編を観て、同性愛に生きる人々は、目にみえる偏見などは表面的なところに過ぎず、想像がつかないくらい深い孤独に生きているのだと思った。

長い髪の毛の枝毛をチェックしながら、コーヒー屋さんで友達に「良い男を捕まえて〜」とか言う女の子は、この世の中、どれだけ生まれながらの生きやすさHPをゲットしているのだろう!

 

AI先生が描いた「手を繋ぐイラスト」I created this art by #aipicasso