『イニシェリン島の精霊』1923年、本土では内戦が続くアイルランドの小さな島で、一つの男の友情が壊れようとしていた。のどかな田舎町で描かれる中年男の困惑と悲哀。
主人公を演じるコリン・ファレルがひたすら困っている。ずーっと八の字眉。
そらそうですわ。
いきなり親友から理由も聞かされず絶交されるんだから。
納得がいかないコリンは、嫌がられても怒られても相手に付きまといやっと引き出した理由が「退屈な人間だから」。
「これから俺は俺の時間を有意義に使う。だから話しかけてくるな」
ひ、ひどい…。
こんなこと言われて、且つあからさまに態度に出されてるのだから、もうこっちから関わらなければいいじゃん、とスクリーンを見つめながらひたすら念を送るのだけれど、そこは小さな島という閉ざされたコミュニティ。
結婚もしなかった独身中年男が、何十年も見知ったメンツの中で新たな友達を見つけるのは至難の技なのだ。
同じような年代の男性は既に自分の生活を確立していて、毎日のパブ通いのバディの代わりはいない。
親友との状況を察して寄ってくるのは、愚鈍で誰にも相手にされない一人の若者だけ。
それは親友も同じことでは、と思うのだが、音楽家としてセミプロ並みな彼は、一人作曲に没頭したり音大の学生と演奏を通じて交流したりとコリンと離れてかなりエンジョイしているご様子。
悔しいよなあ。
コリンは、それはもう相手に執着しまくり、怒らせるどころか「今度俺に話しかけたら、自分の指を落とす」とまで脅迫される。
ヘンテコリンな映画だな、と思って見ていたけれど、ここからさらに捻くれていく。
脅迫が、相手に危害を加えるのではなく、自分を傷つけるぞ、というもの。
これは、相手が自分を深く思ってくれているという自信がなければ相手に対してできない脅迫。
ここまで行くと、見てる側はコリンにもうほっといてやれや、って思うし、旧親友にもそこまで相手が自分のことを思っていると知っているのなら、退屈だろうがこれまでのよしみで少しは情をかけておやりなさいな、と思ってしまう。
周囲の変化についていけず、孤立するおじさんと、残された時間に思いを馳せこれまでのダラダラ慣習を断ち切り再出発をしようとするおじさん。
先日『怪物』を観たところなので、男二人の親密な関係は年代がどうあれ複雑なものよ、と思いしりました。
AI先生が描いた「困ってるおじさん」I created this art by #aipicasso