参上ルルのブログ

映画を観て思ったことを徒然と。

ドキドキのスリラー…いや、コント?

『ドミノ』刑事ダニーは、数年前に娘を誘拐されて以来、精神的ダメージを負いカウンセリングにかかっている。現場復帰の事件は、銀行襲撃。遭遇した怪しげな男は、追ってきた刑事同士に撃ち合いをさせ、自分はビルの屋上から飛び降り───消えた。男が狙っていた貸金庫の中には、なぜか消えた娘の写真。ダニーは、娘の居所を突き止めるために男を追い始める。

 

原題は『Hypnotic』。

「催眠を」とか「催眠をかけるような」という意味合いらしい。

ベン・アフレック刑事が事件現場で目をつけたその男は、細身の長身にグレーのスーツを着こなしていた。

細面の顔には、印象に留まらない微妙な薄い瞳の色と、デフォルトの無表情。

広い額の上のグレーの髪は、顔の周りを邪魔にならない程度の長さに無造作に切ってある。

あー、この人か!

この人が出たら、怪しいに決まってるっしょ!

案の定、男と接触した女性はいきなり暑がって服を脱ぎ出した挙句に通りを走り出して通行人を巻き込んだ騒動を起こし、そんな中やっと追い詰めた刑事二人に何かを語りかけると、その二人が相撃ちして死んでしまう。

 

この男、ウィリアム・フィクナーな。

インセプション』にも出てた…あれ、出てない。

あ、じゃ、あっち。『テネット』。…これも違った。

えっと、えーっと。じゃあ、浦沢直樹の『MONSTER』!って、漫画やん。

てなことが、ぐわーっと頭を駆け巡った。

それくらい、フィクナー演じる灰色の男は、ステレオタイプというか既視感というか、サスペンスやサイコスリラーなどこの手の話には欠かせない人物像なのだ。

ダニーが謎を追いかけていくのを先回りするかのようにどこにでも現れる灰色の男。

全てがこの男の手の内のように。

ミステリー・オブ・ミステリー。

 

物語が進んでいくと、「ヒプノティックが通じない特別な男」ダニーもだんだんと仕掛けてくる。

見ているこちらは、どこからが灰色の男の策略に乗っかったフリをして裏をかく行動なのか、本当に騙されているのか混乱してくる。

そこがこの映画の醍醐味だ。

 

そしてこのハラハラドキドキのストーリーとは別に、映画の破壊力抜群の魅力がもう一つ。

壮大な世界を見せてる反面、実はカラクリがやけに手作り感満載なのだ。

観客に終盤にネタバラしをするのだが、本当はバーンと緻密で荘厳な構造を見せつけて、観客も「おお」と感心したいところなのに(邦題も『ドミノ』だし)、実は裏方たちが一生懸命に走り回って催眠世界を作り出しているのが披露される。

なんじゃこりゃ。

お揃いのTシャツなんか着ちゃって、仲良し学園祭か。

裏方を指揮する灰色の男も、なんだかペッラペラの男に見えてくる…。

 

ケレン味アクション、そしておバカがお得意のロバート・ロドリゲス監督の新境地と思って観始めたけれど、今回も振り返れば超シリアスなスリラーとヘンテコなユーモア?のアンバランスがとても良かった。

これからもついていきますよ!

 

AI先生が描いた「ウィリアム・フィクナー」のイラスト。I created this art by #aipicasso



ジェーン・フォー・エヴァー

『ジェーンとシャルロット』1991年に亡くなったセルジュ・ゲンズブール。フランスで一時代を築いた稀代の文化人(作曲家、作詞家、映画監督、歌手、俳優)の娘であるシャルロット・ゲンズブールが、初めて監督として母であるジェーン・バーキンを撮ったドキュメンタリー。ジェーンは、映画完成後の今年7月に逝去。

 

何を隠そうわたしは、10代から20代にかけて、この美しい母娘にかぶれていた。

娘のシャルロットとの出会いが先だったのだが、デビュー作の『なまいきシャルロット』を観たときは、あまりの可愛さにぶったまげた。

線の細い、というより線の境界が曖昧な儚い少女。

目と唇だけが潤んでいて存在をアピールする。

日本で同じジャンルの美少女といえば、数年後に現れた裕木奈江だと思うのだが、お国柄の違いなのか、同じロリータだとしても全然違う。

子犬の潤んだ黒目がちな目が共通点とした場合、裕木奈江が柴犬だとすれば、シャルロットはビションフリーゼ。

柴犬の輪郭がビシッと犬というのを形作って毛色も濃いならば、ビションは白いマルチーズの毛がもっとふわふわもこもしたバージョンで形自体が心許ない。

シャルロットは「幼児ですか」って童顔で時折思春期の不満顔を見せながら、ボーダーシャツから出た超長い腕とツンツルテンのデニムからニョキっと出た超長い脚を手持ち無沙汰に投げ出していた。

この絶妙なアンバランス加減。

人生で初めて人間を見て「はぁ〜っ」と思いましたわ。

 

その後、時代を遡ってシャルロットの母であるジェーンの『ジュ・テーム・ノン・モワ・プリュ』を鑑賞。

好きな男の子がゲイだと知って、ボーイッシュに変身し文字通り身体を張って彼に好いてもらおうとする健気な女の子を熱演。

こんなにスタイリッシュでイケてる女の子がこんなことを…!?

彼女のモデルのような美しさと映画の過激な内容で、こちらもガーンと頭をぶん殴られたような衝撃だった。

 

その二人をそれぞれの時代のアイコンへと押し上げたのがプロデューサーであるセルジュ・ゲンズブール

歳の離れたパートナー、ジェーンとのカップルフォトがとても洒落ていて、彼らの存在を知った当初は何枚も集めたっけ。

セルジュ自身は、顔は言うてもダボハゼっぽくて全然整ってはいないのだけれど、いわゆる雰囲気イケメン。

しかも若さを売っていないイケオジなので、やたら渋くて余裕があってかっこ良かった。

ゲンズブールは、まずパートナーのジェーンを、不良オヤジとつるむぶっ飛んだロックな美少女という見せ方で時代のアイコンとし、その後、娘シャルロットをただただ愛らしいフレンチロリータの権化として時代に送り出した。

けれども、どちらもおっさんゲンズブールの影をちらつかせるので、淫雛な暗さがチラチラするのだ。

 

そんな二人が、ゲンズブールが亡くなって30年経った今、カメラの前で語り合う。

ジェーンとゲンズブールの離婚で離れて暮らしたこともあるが、他に類を見ない母子関係。

母はカルチャーを席巻したセックスシンボルであり、娘はパートナー(父)により、若い時分に世界から性的対象となるロリータに仕立てられた。

愛情、憧憬、嫉妬…いかなる感情が二人の間にあったのだろう。

お互いに傷つけないように、周りから外堀を埋めていくように積み上げられる会話。

でも、どちらからも愛情はカメラを通して十分に伝わってくる。

二人の辿ったそれぞれの波乱万丈な人生を思わずにはいられない。

 

今年の夏にこの世を去ったジェーンは、カメラの前ではシミもシワも隠さない年相応の女性だった。

年齢隠しに躍起になる日本の美魔女とは別モノだ。

でも、撮影となるとそのありのままの容姿で、シャツの前をはだけポーズをとりカメラをしかと見つめ返す。

妻でも母でもなく、経験を積んだ一人の女性。

その佇まいに圧倒される。

エンドロールで流れるジェーンの詩の朗読の一節「あなたのために完璧になりたい」は、最後まで確かに体現されていた。

AI先生が描いた「ジェーン・バーキンシャルロット・ゲンスブール」I created this art by #aipicasso

福田村を忘れるな

『福田村事件』1923年関東大震災という未曾有の大震災が起きた数日後、千葉県の福田村で、たまたま村を訪れていた薬の行商団が村の自警団に襲われた。行商団は彼らにとって聞き慣れない讃岐弁を話していたため、朝鮮人に間違われて殺されたのだ…。これまで隠されてきた事実に基づいたフィクション。『A』『FAKE』などのドキュメンタリーで知られる森達也の長編劇映画。

 

今年で関東大震災で100年なのだそうだ。

その間、何が変わったのだろうか。

戦争を経験して生活様式が変わり、豊かになりコンプラ的な社会ルールや常識も変化した。

でも、井浦新永山瑛太田中麗奈が昔の衣装を着て100年前を演じていても、どうも100年前という感じがしない。

同世代でも飛び抜けてスタイルが良く、顔も現代的な彼らにはどうしても「いま風」が醸し出されてしまうのだろう。

特に瑛太田中麗奈は、行商団の親方と都会からきたモダンガールという役回りなので、服装がド派手な半纏とレトロドレスといった、なんなら今の原宿とかにいそうなアヴァンギャルドテイストなのだ。

主要登場人物のそのような造詣も、観る側がすんなりと今と変わらない話として違和感なく没頭できる要素になっているのかもしれない。

 

日本に虐げられてきた在日朝鮮人が、混乱に乗じて日本人に復讐している───曰く、井戸に毒を投げ入れている、日本人を集団で襲っているなどなど。

誰もそれを見てはいなくて、「どこの誰々が言っていた」「あそこで襲撃があったらしい」で地方から地方へとどんどん噂が広まる。

真に受けたのか、はたまたこれ幸いと噂に乗っかったのか、自治体も暴力的な朝鮮人には自警団を作って身を守れという条例を出す始末。

震災後の不安な状況で誰もが情報に飢えている状況で、それらしいハナシが人々の間に投げ入れられると、あっと言う間に食いつかれ共有され、さらに大きな輪へとバトンされていく。

 

100年経った今でもそれは変わらずで、ツールが風の噂からSNSに変わっただけ。

さらには、情報量は格段に増えたし、情報の真偽を見極めるのもますます難しくなっている。

「何が起きた、これからどうなる?」という暗闇の中で、流れてきた情報が正しいか正しくないかを判断する余裕があるのか。

ましてや、自分が普段気付いてないような負い目を詳らかにされて、それが原因でさらに悪い状況になるなんて聞かされれば、余計に心配になって聞き流すことはできないだろう…。

けれども、けれども。

100年後に生きる人間として、いざという時にはこの福田村事件が実際に起こったんだということを心に刻んで行動したい。

 

主要登場人物の中で、もう一人言っておかなければならないのが東出昌大

実は、これまで端正すぎる顔とモデル体型、穏やかな口ぶりにばっかり目が行って、感情が通じていないお人形さんみたいだなあと思っていたのが本音。

でも今回の映画を観て、イメージがガラッと変わった。

村の中のアウトローなのだが、女性にはいたってモテる役。

それが納得できるセクシーさムンムンなのだ。

プライベートの騒動を乗り越えて、東出昌大全開放か。

 

AI先生が描いた「村の地震」I created this art by #aipicasso

オレ様の名にかけて!

『名探偵ポアロベネチアの亡霊』ベネチアで隠遁生活を送っていたポアロは、旧知の女流作家からハロウィンの夜に行われる降霊会に誘われる。霊媒師のインチキを見破るために参加したポアロだが、恐ろしい方法で殺人が起こり、ポアロ自身も命を狙われることに───

 

ミステリーに疎いわたしには、エルキュール・ポアロという探偵の名前にはピンと来ない。

パイプを加えて助手がいる人ではないし、ボサボサの頭でヨレヨレのトレンチコートを着ている人でもない。

原作者のアガサ・クリスティという名を聞いて「あー、はいはい」という程度(でも、読んでる訳ではない)。

こんな、ほぼ「初めまして」のポアロなのだが(『オリエント急行殺人事件』は見たはずなのだけれど、全くもって印象がない)、かなり自分に自信があるタイプなのね。

今回ポアロがなぜベネチアにいるかというと、隠遁生活を送るため。

捜査依頼はもちろん、外部からの全ての接触を絶って悠々自適に暮らしていたのに、旧友からの「この降霊会は本物なのよ〜。いくらあなたでもムニャムニャ」という撒き餌に見事に引っかかり、「俺が解明するしかない」とホイホイおびき出されたのだ。

 

それにしても秋冬のベネチアというのは、こんなに薄ら寒いのか。

夏のバカンスを舞台にした映画だと、ロマンティックな歴史的建造物とキラキラ光る水面に老いも若きも浮き足立っているのに。

夏の太陽の眩さにも負けないキャッキャッウフフする美少年───夏とともにいったいどこに消えてしまうのか。

ハロウィンを迎えたベネチアは、日暮れも早く秋の嵐で水面は荒れ、堅牢な建物が立ち並ぶ様は不気味な物語の舞台にふさわしい。

子ども達が集うハロウィンパーティーも、カボチャかぶるとかそんな甘いものではない。

黒マントに由緒ある仮面舞踏会マスクのクラシックモード。

大人だったら『アイズ・ワイド・シャット』以来のアヤシイパーティーですよ。

ドキドキしちゃう。

いや、今回はホラー。違うドキドキ。

なんせ映画がめっちゃ怖い!

サブタイトルに「ベネチアの亡霊」とあるように、建物に語り継がれる怪奇話、不慮の事故で死んだ娘の霊を呼び出す降霊会など、話はどんどん不穏になっていく。

観客をビビらせる演出も、映画の前に予告で流れた『死霊館』シリーズばりに容赦ない。

え、そっち系…?

ホラー好きのわたしには想定外のお楽しみだったけれど、単にミステリーを味わおうと来ていたホラー嫌いの皆さまにおかれましては御愁傷様でございました。 

 

この緊張感みなぎる中で、一際すごみを出してくれたのが、霊媒師役のミシェル・ヨー

今回は敢えて東洋人と限定されない単に正体不明の怪しい人物という役柄だった。

美しく妖艶かつスタイルも抜群で、西洋人の俳優と並んでも遜色のない存在感。

花柄のプリントシャツを着てマルチバースに翻弄されてるおばさんってだけじゃない。

さすがアジアが誇る大スター。

貫禄を見せつけてくれた。

 

いったんは降霊会での怪奇現象のトリックを看破したポアロ

けれど、不可解な殺人事件、そして次々と起こるホラー現象にポアロも次第に怯み出してくる。

心霊は科学で解明できるのか。

さすがのポアロも今回は詰むか、というハラハラの展開。

 

わたし的に改めて思ったのは、心霊現象とは「こんな可哀想な目にあったのだから幽霊になっても仕方ないね」という悲しいバックグラウンドがニコイチだということ。

裏事情を知った側の情が肩入れされて、見えてくるものがあるのだ。

そんなことをつらつらと思っていたら、最後にポアロのドヤ顔。

憎まれっ子世に憚りなり。

 

AI先生が描いた「名探偵ポアロ」I created this art by #aipicasso

どん底の笑う門にこそ福来たれ

『波紋』平凡な主婦・依子は、夫が失踪して以来、新興宗教を心の拠り所とし、一人慎ましく生活していた。そんなある日、父の介護を押し付けて家族を捨てた夫がガンに罹患して帰宅。遠方に就職した息子は、障害のある彼女を結婚相手として伴って帰省。パート先にはクレイマー客が定期的に現れ、自身の更年期症状も好転する兆しがない──キャッチコピーは「絶望を笑え」。

 

朝、目を覚ますとすぐ目の前に年季の入った夫の足の裏がドーン。

依子は怒るでもなく、当たり前のこととして、ベッドを抜け出してカーテンを開けて一日が始まる。

これが、夫が失踪する前の幸福な生活だったのだ。

はぁー、結婚生活とはなんと恐ろしいものよ…毒女のわたしはここでまず震え上がった。

夫の失踪後、依子は新興宗教に入信した。

一人になったマイホームの庭に枯山水を作り、足の裏を見る代わりに一心不乱に箒を使って敷砂に模様を作る毎朝。

「女は家庭を守る」とは昔よく言われた価値観だが、守る家庭が壊れちゃうと、今度は体面だけでも保とうとするらしい。

よく飼い猫が庭を荒らしにくる隣家の主婦には、「旦那さんは単身赴任かなんかで、息子さんは遠方に就職して、義父を送り出して家を守る立派な奥さん」に見られているだろう(とは依子の願望)。

そのプライドがギリギリ依子を現状に繋ぎとめてたんだろうな。

それなのに、それなのに!

バカ夫が、亡くなった父親の遺産を自分のガンの治療費にあてがおうと帰ってくる。  

わたしだったら○(ピー)しちゃうかも。

 

耐えに耐える依子にとって一筋の光明になったのがパート先の清掃員・木野花に会えたこと。

人見知りな依子が、声を潜めて身の上を話すと「夫に仕返しするのよ!いい、いい、私が許す!」

そこから、少しずつ依子は変わり始める。

夫の歯ブラシで排水管を磨いてちっぽけだけど仕返しを開始したり、パート先に来るクレーマー客に言い返したり。

そして、クライマックスには、観客の誰もが溜飲を下す依子が待っている。

 

配役がとても良い。

あまり周りとのコミュニケーションが得意ではない、そして日本のどこにでも居がちな主婦に筒井真理子、ダメ夫に光石研、クレーマー客に柄本明、先ほどの木野花と脇を固める役者が盤石。

中でも、新興宗教のリーダー・キムラ緑子の元にいる信者1、2の江口のりこ平岩紙

二人が素の柔和な顔で、並んで優しく語りかけてくると、怪しさマックス!

目が笑ってないアルカイック・スマイルが過ぎるわ!

この二人よりさらに新参者をケムに巻く舞台装置になるのが、信者一同で歌う独特の歌と踊り。

皆で笑顔で円を作り牧歌的な歌を歌って、幼稚園児の振り付けのような踊りをつけるのだ。

な、何を見せられている…?

お隣韓国のドラマを見てると、宗教の踊りは縦ノリの、なんだったらタオルを振り回しいのの勢いなので、これもお国柄を表してるのかも。

海外の人から見ると、映画全てがザ・日本と思うかもしれない。

 

AI先生が描いた「枯山水」I created this art by #aipicasso

十二分に、お分かりいただけました

『劇場版ほんとにあった!呪いのビデオ100』MAスタジオで『ほんとにあった!呪いのビデオ96』でナレーション収録をしていた『ほん呪』元演出の中村義洋。収録予定の一本が、20年以上も前に自分が演出を担当していた時に投稿されていた映像と同じであることに気づく。



夏休みのお楽しみといえば、昼にしたり顔の新倉イワオが解説をする「あなたの知らない世界」や、夜のワイド枠の宜保愛子などが活躍していた心霊特番。

張り切って全制覇した後は、タオルケットから出た足や手が誰かに掴まれるかもしれないという恐怖で汗だくになりながらタオルケットをすっぽり被って過ごした夏の夜。

あんなに好きだったのに。

思えば遠くへ来たもんだ( ˊ̱˂˃ˋ̱ )

 

9月になってもまだ暑い夜、下高井戸シネマに『ほん呪』が来ているというので観に行ってみた。

知った風に略して呼んじゃったが、実は『ほん怖』と区別もついておらず、「呪いのビデオ100」というのは「投稿ビデオ100連発」のことだと思っていた。

正しくはシリーズ100作目ということ。

100!

なんか、さーせん!

一途に愛し続けているファンの皆様、なんか、さーせん!

心霊ものをかつてはこよなく愛していた者として、襟を正して観賞した。

作風は、ドキュメンタリーを装ったフィクション(ですよね?)。モキュメンタリーというもの。

24年前の投稿ビデオがAirDropで現代に甦り、見た者が次々に怪奇現象に見舞われる。

VHSからエアドロまで。心霊ものも確実にアップデートなのだ。

現在のエアドロ投稿者、次々起こる怪奇現象、そして元のVHSの作成者の調査がいい塩梅に配置されて、どんどん話に引き込まれた。

 

今回、『アヒルと鴨のコインロッカー』などで知られる中村義洋監督の姿を初めて拝見したのだが、なぎら健壱を彷彿とさせる人の良さを全身から醸し出していた。

飄々とした風貌と物言いがなんだかユーモラス。

高齢者施設に入所している関係者に話を聞く場面。

コロナ禍で家族しか入れないということで、投稿者でもある息子にカメラを持たせて取材を任せる。

中村監督本人はというと、外に面した面会室を見つける。

最初は遠慮気味に少し窓を開け、囁き女将ばりに息子に追加質問をさせていたのだが、

慣れてくると、食い気味に「その人の苗字は?」「職業は?」など、もはや窓ガラスがアクリル板化し、外から声を張っている姿に息子もタジタジに。

同席する施設スタッフも、絶対目に入ってるはずなのに注意することもなくただ座って前を向いているのもなんかリアルで、めちゃ笑った。

他には、若手スタッフと空き家で昔のVHSを探す場面も良かった。

日中に偶然関係者と出会い、話を聞いたりするうちに、監督が避けていた夜に空き家に入ることになる。

「心霊系YouTubeじゃないんだからさあ」と怖いものを撮ろう撮ろうとするスタッフを牽制し続けるのだが、一番良いリアクションをするのは間違いなく、監督。

監督とは良い役者でもあるのだ。

 

意外な要素に驚きつつ、最後にはすっかり怖がらせてもらった。

帰り道は誰かに見張られているような。

コロナにこれで罹ったら…。

 

AI先生が描いた「日本の幽霊」This art was created by #aipicasso

 

バービーとリカちゃんは別物

『バービー』完璧な夢の国「バービーランド」にハッピーに暮らしていた“定番“バービーに、ある日異変が。太ももに脂肪のセルライト!?完璧をとり戻すために、“定番“ケンとともに人間世界に乗り込むが───

 

全米で2023年に公開された映画の中でトップとなるロケットスタートをきり、そのままの勢いでワーナー・ブラザース映画の中でも歴史的なヒットを爆進中の本作。

このニュースや、公開前に批判を浴びたSNSでの「バーベンハイマー」騒動など何かとかまびすしいが、実はわたしはビジュアルが解禁されて以来、とても楽しみにしていた。

だって、バービーのマーゴット・ロビーはともかく、相手役のケンがライアン・ゴズリング

ライアン、カッコいいよ、好きだよ…。でも、おっさんじゃん!!

ケンってティーンネイジャーとか20代くらいの設定でしょうよ。

 

バービーランドでのケンの初登場シーンは、やっぱり笑ってしまった。

アメリカンな(そして古い)派手派手な衣装を着て、イメージ通り女の子を誘いまくりカッコをつけまくるケン。

そしてそれはおっさん。

完璧なプロポーションで完璧な笑顔のマーゴット・ロビーと、バービードールの数あるバリエーションが具現化した様々なバービー(とおまけのケンと派生ケン達)が歌い踊るピンクベースのカラフルなバービーランドの日常。

いやあ、完璧。期待通り。おバカだなあ。

アニメだったら違和感なくできるところを、あえて生身の人間(しかもちょっとズレてる)が演じることで、ニヤニヤを引き出している。

この映画のスゴいところは、やっぱり配役の妙!

物語が動いて、実際の人間社会に行き、自分たちで幼い頃遊んでいた人間と出会うことによってバービーもケンも変わっていくのだけれど、覚醒後のケンを見るとライアンにしか務まらない役だったんだと唸った。

 

アメリカやその他の国での大ヒットの要因は、かつてバービー人形が象徴した性的な魅力に溢れた憧れの女性像、バービーに寄せた悲喜交々。

バービーを踏み台にしたような今のフェミニズム運動やポリティカルコレクトが、実はお題目ばかりで現実社会ではまだまだ機能していないことを風刺たっぷりに描いてると思われ。

実際のアメリカ人の方たちの感じ方はどんなもんなんだろ。

言葉は字幕を見れば分かるし概念的なものも現代社会に生きているから分かる。

けれど、ちょっとしたセリフのニュアンスや行動の意味はやはりアメリカ社会にどっぷり入り文化を理解していないと難しいと感じた。

言うなれば、『翔んで埼玉』の面白さは日本国民なら分かるけれど、本当のおかしみは県民じゃないと無理、みたいな。

アメリカは、その分野ではリーダーで、バービー人形にだって、ダウン症バージョンもあれば車椅子バージョンも売られてる。

日本から見ると月ほども先を行っていると思っているけれど、それでも彼女ら彼らの理念には程遠い現状だから声高に正当性を主張するんだ。

と、ジェンダーギャップ指数125位の此岸で、ことのほかぼんやりと生きているわたしは思った。

 

映画の中で一つだけ心残りな件(ケン)。

派生ケンの中に東洋人のケンがいるのだけれど、目を細めてみると浅野忠信に似ている。

そう思い出すと最後には本人にしか見えなくなる。

上にグリーンのランニングを着て下にグリーンのランニングパンツを履いて踊りまくるケン。

ライアンの“定番“ケンのライバルでもあるので、これ本当に浅野忠信に演ってほしかった!

 

AI先生た描いた「バービー」I created this art by #aipicasso