参上ルルのブログ

映画を観て思ったことを徒然と。

それは女が怖いから

『ボーはおそれている』都市のアパートに一人住む中年男のボーは、いつものようにカウンセリングに通い、翌日母の元へ帰省しようとしていた。しかし、思わぬトラブルが発生し飛行機に乗ることができず、報告した母の機嫌を損ねてしまう。なんとか帰省しようと奮闘しているところに、母が事故死したとの情報が入る。絶対に帰らねば…!ボーの予測不能の帰省の旅が始まる。

 

映画の上映が開始して数秒、「あれ?機材ドラブル?」と思ってしまった。

でも、それこそが狙い。これから始まる物語を凝縮したような不穏さ。

なんせ、ボー演じるホアキン・フェニックスがずっと怖がっている。

声も弱々しく眉尻なんかも下がりっぱなしで、あのジョーカーを演った人と同一人物なんて信じられない。

と言いつつ、『ジョーカー』でもジョーカーになる前のフレックは、今回のボーと同じで神経症の持ち主だった。

でも、二人の個性は全然違っていて、ホアキンの役者としての技量に感心する。

ボーは、とにかくずっと怖がっているのだけれど、住んでいるアパートの前のストリートの状況を見たら、誰だってそうなると思ってしまう。

軽食を売るキッチンカーの隣で裸で四六時中サルサを踊る男、奥の方の銃声と悲鳴、道に通行人を引き倒して首を絞める男、全力ダッシュで追いかけてくるホームレス、etc。

この前、ネットで「日本すごいぜ」系の記事を読んでいたら、あえて日本の悪いところを外国人にあげさせる企画があって、ある人は次のような主旨で答えていた。

「日本は安全で、テーブルにPCを置いたまま飲み物を注文しに行ってもいいし、夜中に歩いていて危険な地域に間違って足を踏み入れることもない。

そうなると、母国に帰ったとき、あるいは外国に行ったときに自分が腑抜けになってしまう」云々。

腑抜け上等!

こんな怖いとこ、ボーじゃなくても普通じゃいられない。

怖いよー。

みなさん、落ち着いていきましょうよ。

 

話が進んでいくと、観客はひょっとしたら、ボーの幻想の世界を見ているのかもしれない、と思い出す。

でも、母親の死体の発見者であるUPSの配達員の電話でのやりとりとか、とてもリアル。

現実か幻想か分からないまま、奇想天外なボーの旅に入り込む。

ただ、ボーにとっては現実でしかあり得ないので、彼自身はひたすら不安で逃げ惑う。

それが、ふと引いた目線で俯瞰してみると、笑いのツボがあちこちに散りばめられている。

ボーと彼に共感して観ている観客にとっては地獄絵図なのだが、客観的に観ている観客にとっては命を賭けたドリフコントなのだ。

「ボー、後ろ!後ろ!」的な。

どっちで観るかは、観客次第。

わたしは、主観4、客観6かなあ。

途中、森の中でカルト的な劇団集団に出会い、演者としてボーが舞台に立つことになる。

その時だけは、ボーの顔つきではなく、ホアキンの通常の役者としての仮面を被っていた。

上映時間3時間のうち、このシーンだけが「あ、ホアキン」と引き戻された。

本当の本当の意味で客観に戻された場面となった。

 

AI先生が描いた「困ってるホアキン・フェニックス」This art is created by #aipicasso