参上ルルのブログ

映画を観て思ったことを徒然と。

あーたーらしーいあっさがきった

『PERFECT DAYS』東京・渋谷で公衆トイレの清掃員として働く平山。毎日夜も明けきれない時刻に起き、仕事や食事をルーティンのようにこなして、日が暮れるといつものように布団の中で古本を読んでから眠りにつく。同じような日々が淡々と続くが、1日として同じ日がないことを平山は知っている。平山を演じた役所広司は、カンヌ映画祭で男優賞を受賞。監督はドイツ人のヴィム・ヴェンダース

 

映画の始まり。

ランダムな影が微かに揺れる合間から光が差し込んでいる。

後から分かるがこれは木漏れ日。

最初は何を映しているんだろうと訝しんだけれど、背景に聞こえるカラスの声で「これは東京だ」と分かった。

夜中の喧騒がひと段落した朝方。

静けさの中にちょっと優しくて後を引くような鳴き声が響く。

夜遊びした後に仲間と解散して、気の抜けた帰り道で聞いたことをふと思い出した。

映画では、このカラスの鳴き声のベースの上に箒で道路を掃く音が重なり、街が動き出していく。

と、同時に平山の一日も始まる。

 

トイレの清掃員、平山の日常は極シンプルだ。

朝早くに起き、清掃の現場に行って集中して磨き上げる。

途中、昼休憩は神社の境内に行って樹々の写真を撮り、午後には労働を終え銭湯に行ってから行きつけの居酒屋でいつもの晩飯を食べ、本を読んで寝る。

自分から何か新しい出会いや物事を求めてはいないので、人と交流しようとしないし違う方法を取ろうともしない。与えられた職務にただ忠実に向かい合い、延々と続く「いつもの日常」から出ようとしない。

こう書くと、なんだかつまらない人生、と思い込んでしまいそうだが、なんの。

平山の毎日は心を揺さぶられることに満ちている。

その秘訣は、平山の仕事ぶりをみていると分かる。

その集中ぶりだ。

小さい鏡を使って見えない便座の縁の裏側までチェックする徹底ぶり。

わたしなんか、つい昨日もスイカゲームを何時間もやっていたけれど、心の中にはいろいろなものが浮かんでは消え浮かんでは消えだから、スイカはちっとも大きくならないし、心の雑念はなーんにも解消しないし。

平山は、一日の中で手がけることは片手で済んでしまうけれど、目の前のことに全集中なので、他の人には気づかないことが目に入り常に日々が新鮮であるようだ。

ある日は、壁の間に控えめに挟まった紙切れを捨てようとしてふと中をみてみたら、⚪︎×ゲームのマスに一つだけ○がついていたことに気づき、イタズラ心でxを記入して同じところで戻すと翌日は、その次の手の○が入っていたり。

お昼に見上げる木も日々変化していて、若芽にも気づく。

同じ一日なんてありっこない。

 

人に対してだって、特にこちらから親しくしようとしない代わりに、別に拒絶しているわけでもない。

同僚、同僚の片思い相手、姪、料理屋の女将、その元夫などなど。

いろいろな人々が、平山の一生からするとほんの刹那のあいだ、ふと隣にきて一緒に伴走して、また離れていく。

平山は、彼らを受け入れ真摯にコミュニケーションをとり心を動かし動かされして、離れていく彼らを見送るのだ。

 

この映画を好きだという仕事でお世話になっている人と話をしていたら、平山が毎日家を出るときに空を見上げるシーンに、「オレも全く同じなの。オッサンの習性?」と言っていた。

安心してください。BBAも一緒です。

晴れでも雨でも平山がグイッと顔を上げて空を見るとき、筋肉の作りか口角が上がってなんだか新しい朝を祝福するような表情に見える。

きっと、みんなこんな顔をして1日を迎えているのだろう。

 

AI先生が描いた「清掃員の役所広司」This art is created by #aipicasso

振れ幅お化け

ペパーミント・キャンディー 4Kレストア』韓国の巨匠イ・チャンドンのレトロスペクティブ上映の一本。1999年作品。旧友たちがピクニックしている場に、行方知れずだったキム・ヨンホが突然現れる。人生の絶望にある彼は、皆の楽しむ場で悪態をつき場の雰囲気を壊すことを何も思っていない。相手にされなくなったキム・ヨンホはフラフラと近くを通る陸橋の上に立つ。列車が近づき汽笛を鳴らしても逃げない。衝突するその瞬間、「帰りたい!」と叫んだ彼の人生を、観客はその時点から過去へ、さらに過去へと逆戻りして体験していく。

 

主役は、現在中年男のキム・ヨンホ。ピクニックの数日前。

自殺するつもりなのだけれど、その前に拳銃を手にいれ、自分を破滅させたうちの一人を殺してからと考えていた。

不貞をして別れた妻なのか、地獄まで追い込む借金とりなのか、調子よく株を買わせて紙切れになった途端態度を変えた株屋か、一緒に事業をしようと持ちかけ金を持ち逃げした男なのか…。

そんなにいるのかい!

この世に恨みつらみしかない男の権化。

露天商のおばちゃんのコーヒーにさえ小銭を切らしてるふりして踏み倒したりと、態度が悪ければ人相もチンピラ感出まくりで、冒頭から「この男にこの人生あり」と思わせる。

 

さらに数日過去。

元恋人のスムニの現在の夫がホームレスをしているキム・ヨンホの元を訪れ、死の病床にいるスムニに会って欲しいと懇願する。

「今さら」と訝しむキム・ヨンホだが夫からスーツを買い与えられ、スムニに会いに行く。

スムニは既に会話はできず、キム・ヨンホも思い出を手繰り寄せるように感傷的になった。

「思い出の品をキム・ヨンホに返して」と以前にことづかったと言う夫は、キム・ヨンホに古いカメラを渡す。

が、病院からの帰り道に、さっさとキム・ヨンホは売り払って金に換えた。

マジでこの男、いけすかないんですけど。

 

ここから映画は、キム・ヨンホの近い過去から遠い過去の数場面を順に観客に見せていく。

妻の不貞に激怒する割に、自分は浮気ばかりで家族を顧みない実業家時代。

警察で取り調べと称して平然とし烈な拷問を振るう警官時代。

犯人を追ってたどり着いた地方で、女を漁る姿。

関係を絶ったスムニが居場所を探り当て会いにきた定食屋で、給仕する店の若い娘の尻を撫で回す、警官になりたての時代。

 

ここまで徹頭徹尾、観客に一片の共感も許さない主人公も珍しい。

時代を遡るので、髪型も服装もその度に若返って一見「あれ、同じ人?」ともなるのだけれど、どの時代を切り取っても嫌な感じであるのがこの男のスゴいところ。

 

「早く天誅を!」とジリジリしてくるところで、警官になるきっかけとなった徴兵時代へ。

あれ、若きキム・ヨンホ。先輩にイジられても健気に頑張るおっちょこちょい君じゃん。

そんな彼が派遣されたのが光州事件

1980年に起きた民主化を目指す市民同胞を、韓国軍が弾圧した事件だ。

一生懸命で純粋なキム・ヨンホに悲劇が起こる。

 

なんと!!

そういうことであったのか。今まで見てきたことの見え方が180°変わった。

 

ひぃ〜〜、と言葉にならない衝撃を受けているうちに、場面はさらに過去、徴兵に行く前にキム・ヨンホとスムニが出会った職場仲間のピクニックの場面へ。

野花を見ながら「写真家になりたい」というキム・ヨンホの爽やかさと言ったら!

皆と車座になって、当時流行りのフォークソングを歌う姿は、まさに「ビューティフル・サンデー」を歌う田中星児。

そして、そんな彼をはにかみながら盗み見るスムニは角川時代のアイドル薬師丸ひろこ。

完璧なカップルだった。落涙。

この作品、もし配信で見ていたらキム・ヨンホによるクズの波状攻撃に耐えられず、光州事件にたどり着く前に見るのをやめてしまったかも。

改めて、今回のイ・チャンドンレトロスペクティブ上映に感謝です。

 

ちなみに、この3年後に同じイ・チャンドン監督の『オアシス』で、キム・ヨンホ役のソル・ギョングとスムニ役のムン・ソリが再び主演で共演する。

けれども、その姿はソル・ギョングは常に自分の鼻を擦っている落ち着きのない荒川良々のようないでたちで、悪い人間ではないけれど短小軽薄な役どころ。

一方で、ソル・ギョング脳性麻痺の女性という、『ペパーミント・キャンディー』の二人とは似ても似つかない役を演じきっていた。

言われないと絶っっっ対に気づかない。

韓国映画、いと深し…。

 

AI先生が描いた「韓国の徴兵」。This art is created by #aipicasso

 

オアシスは部屋の中

『オアシス 4Kレストア』韓国の巨匠イ・チャンドンのレトロスペクティブの一本。2002年作品。迎えが誰もいない中、刑期を終えて出所した青年ジョンドゥ。ある日、被害者家族の家に謝罪に訪れた彼は、脳性麻痺の同じ年頃の女性コンジュと出会い、恋に落ちる。

 

2002年の初上映の時ではなかったにしても、特別上映か何かでこの『オアシス』は以前観た。

記憶の中では、知的障がいのある若者と脳性麻痺の女性の裏悲しい恋愛物語だったはず。

その時だって子どもではなかった。が、今回改めて観て「おや」と思った。

なんか、今現在の視点で観ると、印象が変わるのだ。

まず、青年ジョンドゥだが、自分の欲求に忠実で、周りから浴びせられる視線は全く頭には入ってこない。

少し知性に欠ける印象を残すが、母になけなしの持ち金で服を買ってあげたり(母はそんなのいらないが)、兄の身代わりとなり交通事故を起こしたとして刑務所に入った経緯がある。

他人の身になって考えることはできないが、他人の身を案じることはできる。

こういう人、身の回りにもいっぱいいる。

 

なんか違った、その2。

恋人となる脳性麻痺のコンジュとの出会いなのだが、ジョンドゥは一目ぼれした後、次は部屋に忍び込み力ずくで手込めにしようとした。

けれど、身体の自由が効かないコンジュの力一杯の抵抗にあい、挙げ句失神させたところで、驚いて水をかけて意識を回復させて逃げた。

その後、改めて謝罪に行ったジョンドゥをコンジュは受け入れる。

ここ。

未遂だったとはいえ、失神するくらい嫌な目にあわされた男を受け入れるだろうか。

一昔前の日本映画でも、レイプされた男をその後好きになるという話をちらほら観たけれど、それってほんとぅ???

寧ろ、心に傷を負わされて一生恨み続ける、って方が自然ではないかしら。

でも、『オアシス』の場合は、そういう「男の妄想でねぇの?」という思いも、ストーリーが展開していくにつれて溶かしていく説得力があった。

 

コンジュのようなクリアな頭脳を持ちながら重度脳性麻痺を患っている状況だと、「もうこういう異性は現れない」と悟ったのではないだろうか。

言ってみれば、ジョンドゥは軽率でバカなのだけれど、自分の非を詫びに再び現れる率直さがあり、発音に困難があるコンジュを面倒臭がらず普通のことのように拙い言葉に耳を傾けてくれる。

筋肉の歪みで一見分からない生来の顔立ちも「よく見ると綺麗だ」と言ってくれたジョンドゥ。

彼女を喜ばせたい一心で、身体の障害をものともせずコンジュをどんどん外に連れ出していく。

家族からも独り隔離されて生きてきたコンジュと家族に疎まれるジョンドゥは、生涯の恋人となった。

最後には、世間一般という顔をした互いの家族が二人に立ちはだかり…。

 

前回観た時は、二人が自分とはかけ離れた存在に感じられて傍観者だったけれど、今回はより二人の内面に触れた気がした。

家族の一貫してとる行動は、変わらず分かり味は深いのだけれど。

 

コンジュの部屋に、「オアシス」というタイトルの壁掛けインテリアがある。

ある日、中からインド象と、女性、子どもが飛び出し、健常者の身のコンジュとジョンドゥがキスをするのを祝福する

また別の日には、地下鉄のホームで電車を待つ間、車椅子からコンジュが立ち上がりジョンドゥとダンスする

いずれも、コンジュまたはジョンドゥ、あるいは二人の頭の中に繰り広げられる幸せな幻想なのだけれど、どの現実よりも美しいカップルのシーンだった。

 

AI先生が描いた「インド象と少年」。This art is create by #aipicasso.

香港明星永遠不滅

インファナル・アフェア 4K』2003年に日本公開された香港映画。<警察に潜入にしたマフィア>と<マフィアに潜入した刑事>の手に汗握る駆け引きが繰り広げられるサスペンスドラマ。1部で核となるドラマ、2部で過去、3部でその後の結末を描く。ハリウッドでマーティン・スコセッシ監督、レオナルド・ディカプリオマット・デイモン主演で製作されたリメイク作品はアカデミー賞を受賞し、また日本でもドラマ化されるなど世界のクリエイターに多大な影響を与えた。

 

く〜〜〜ぅ、痺れた!

20年ぶりに劇場で観た『インファナル・アフェア』。

若き日、客電がついてもしばらく放心した「とんでもないものを観てしまった」感が、時空を超えてまんま蘇った。

───『インファナル・アフェア』は不滅です。

何よりも、トニー・レオンアンディ・ラウのイケメン度合い。

今は韓流スターが押しも押されぬ大人気だけれど、元祖アジアンスターといえば香港よっ。

あの時代の香港スターは、この二人をはじめとして綺羅星の如く逸材が揃っていた。

国を超えて人気になるスターというのは、このくらい突き抜けたバタ臭さや目力が必要なのだ。

世界のどんな粗暴な荒くれ女だって、あの目線で射抜かれたらキュン死にすることだろう。

特に、今回主役二人のうち<マフィアに潜入した刑事>の方を演じたトニー・レオン

年季の入った黒い革ジャンを着こなして、長めの前髪からチラチラ見える黒目がちな瞳。

その瞳から流れるのは、涙ですか?色気ですか!?

いったいなんなんすか!?!?

加えて瞳だけではなく佇まいがいい具合に湿っているのよ。

柴犬の鼻みたいに。

髪の毛も決して濡れてるわけではないのに、勝手に視覚が前髪から滴る水を補完しちゃったっす。

 

そして、この頃の香港の街並みがこれまた良い。

制作年は2002年なので、あの悪名高き九龍城やビルすれすれで飛ぶ飛行機などはもう見られないのだが、それでもコンパクトでごちゃごちゃした箱庭みたいな街並みは十分堪能できる。

街を覆う空気感はエネルギーに溢れ香港の高温多湿がそのまま映ってるかのように、絵ヅラの湿度&暑苦しさ度はマックス。

人も街も色気ダダ漏れの中、物語は極度の緊張をぐいぐい強いてくる。

あたかも、暗闇の中ピーンと張り詰めた綱の上に正体の分からない相手と対峙している状況。

相手が少しでも動いたら即座に対応しないと地獄へまっしぐらな1時間半。

 

20年経っても名作が全く色褪せないことを確認できたけど、もう20年後にはこっちの心臓が持たないのではないかしら。

いろんな意味で。

 

AI先生が描いた「インファナル・アフェア」のイラスト。This art is created by #aipicasso

令和なら鬼太郎だって萌える

『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』原作者である水木しげるの生誕100年記念作品。戦後の高度経済成長の萌芽が見える昭和31年。日本の政財界を裏で牛耳る龍賀一族の地元の村で、龍賀家当主の葬式が行われることになった。取引先のサラリーマンである水木は、野心を抱え村に弔問に訪れた。また時を同じくして妻を探す鬼太郎の父も村に辿り着き、二人は出会った。

 

鬼太郎meets八つ墓村

正確には、鬼太郎の世界を八つ墓村に持っていったというとこ?

鬼太郎自身はメインの物語には出てこないし。

ということで、タイトルは『ゲゲゲの鬼太郎 〜X○△〜』ではない。

聞くところによると、子ども向けではなく、完全大人向けというところと腐女子にリピーター続出で大ヒット中らしい。

「あの鬼太郎が?いま?」という好奇心で鑑賞へ。

 

わたしの中の鬼太郎といえば、小学生の時に見たおどろおどろしい墓場から始まる「ゲ、ゲ、ゲゲゲのゲ〜」。

たぶんわたしが田舎で見ていたものは、新作ではなくて初期シリーズの再放送だったように思う。

子どもの目から見ても、その頃に見てた他のアニメと比べると古めかしく画質も暗くかった(あの『妖怪人間ベム』ほどではないにしろ)。

あのオープニングが始まると、暗い洞窟の中に入っていくようでヒヤヒヤドキドキの気持ちになったものだ。

生真面目な目玉の親父、エキセントリック猫娘や「どうしようもな」なネズミ男たちとのチームと、怖し哀しの妖怪たちとの丁々発止なやりとりが好きだったなあ。

昭和の名作『ゲゲゲの鬼太郎』は、わたしの視界から離れていった後もテレビシリーズ化を重ね、第6シリーズまで制作されて平成も無事完走、令和に突入したようだ。

最近のテレビシリーズのものを見てみると…氷川きよしがゲゲゲを歌ってる!

髪の毛針は健在だが、青いきれいな空のもと戦隊モノよろしくめっちゃジャンプ!からの回転してえの空中必殺発射!など、アクションバリバリでバトルしてたりする。

す、すごい…。

鬼太郎もアクティブになったものよのお(遠い目)。

 

そんな『鬼太郎』ご無沙汰( ˊ̱˂˃ˋ̱ )なわたしだったが、今回の映画ではさらにびっくり。

昭和レトロを通り越して昭和再発見!な感じで、昭和ストーリーが新鮮なのだ。

地方の村の排他的な因習や呪縛、人間の妄執、戦争の傷跡、など、ヤングからすると一体どこの国の話?となるのではないか。

絵も昭和を彷彿とさせる?(わたしからすると懐かしい)暗さで、重厚なドラマをしっかりと支える世界観になっていた。

主役の一人である水木は、帰還兵なのだが、記憶の中の戦闘場面も没入感抜群でこちらの背筋がツツツと寒くなるほどだった。

キャラクターも、見た目昭和文豪の鬼太郎の父と、黒電話が似合いそうなワイシャツ袖捲りがデフォルトの水木。

キャラクターといえば、驚いたときの目の横で出るシワがどこかで見たことあるな、と思ったら、『シン・エヴァンゲリオン』のキャラクターデザイナーの人だった。

シリアス感ハンパない。

この二人のバディが、女子たちに受けているとの話もちょっと分かってしまった…。

 

ストーリーの終わりは、鬼太郎誕生というエモい仕掛けもあり、ヒットも納得、映画に大満足で会場を後にした。

そういえば、後ろの列に家族づれがいて幼稚園児くらいの男の子も。

開映前はキャッキャッ言ってたのだが、帰りは全く音がせず、存在を忘れたまま出てしまった。

トラウマになってなきゃいいけれど。

AI先生が描いた「日本の墓」のイラスト。This is created by #aipicasso

ちいかわスリラー

『イノセンツ』ノルウェーの団地。夏休みで閑散としたその場所へ9歳の女の子イーダと自閉症の姉のアナは引っ越してくる。仲良くなったインド系の男の子ベンは、集中すると物を動かせる不思議な力を持っていた。また、発話が難しいアナと意思疎通ができる女の子アイシャも遊び仲間に加わった。無邪気に遊ぶ4人だったが、その強度を増していくサイキック・パワーは思いがけない方向へと暴走していく。

 

最近の子どもがメインの映画って、ほんと子どもの自然な演技が素晴らしい。

是枝監督の『怪物』やフランス映画の『クロース』など、ただただ子どもたちを自然に遊ばせてそこをカメラで切り取るのではなく、子どもたちが大人が考えたストーリーを理解して振る舞ってる様が何とも自然なのだ。

この『イノセンツ』も然り。

メインの4人、特に主役となるイーダは特に愛らしい顔つきというわけでもなく、言い方は悪いがその辺にいる女の子の代表。

ブスッとしてる表情は奈良美智の女の子に似てるかも。

親をつきっきりにさせてしまう自閉症の姉アナに、親に分からないように退屈しのぎに意地悪したり、時には度を越したイタズラで傷つけても瞬間驚き反省はしても次の瞬間には忘れてしまう。

その自然な演技が、観ているこちらを「あの時」のイヤなガキだった自分に引き戻す。

画面を見ながら二重写しで昔の自分を見て苦い思いがじわーっと広がっていくのに耐える。

最近は、演技がすごい子ども映画が多くて、この感覚が増えてしんどいわ、ほんと。

 

子どもたちの自然な演技の真骨頂は遊んでいるとき。

楽しい遊びが見つかると無邪気すぎてまるでちいかわ。

 

「ぼく、モノを動かせるんだよ。この枝持ってそこに立って」

「ここ?」

「もうちょっと奥。OK。。。(集中している)顔見ないでね」

「わかった」

「見ないで!」

バキッ

「わぁ、すごい!すごい!」

「えへへっ」

 

そんな100%ちいかわの彼らが、純粋にもっとやろう、もっとやろうと能力を遊びながら開発していくと、能力を暴発させる子が出てきてしまい…というストーリー。

純粋な好奇心が能力を磨き、ちいかわゆえに善悪の判断ではなく好き嫌いで後先考えずに能力を使ってしまう。

結局はモンスターになってしまう男の子が切ない。

 

ちなみに、監督は大友克洋の『童夢』にインスピレーションを受けて制作したそうで、『童夢』を知っている人からするとかなりまんまのシーンが多数あるらしい。

わたしは『AKIRA』しか知らないので、キヨコたちの肉体が老化せずアキラみたいに子どものままなら、この『イノセンツ』がすっぽり『AKIRA』の物語に入り込んで別バージョンができたかも、なんて夢想しました。

 

AI先生が描いた「砂場で遊ぶ子供たち」のイラスト。This art is created by #aipicasso.      

タラちゃん。幼児じゃない方

クエンティン・タランティーノ 映画に愛された男』1992年に『レザボア・ドッグス』で映画界に彗星のごとく現れた映画監督タランティーノ。デビュー以来数々のヒットを飛ばしてきた彼は、監督作10作目で引退するという。タランティーノと仕事を共にしてきたスタッフとキャストがその仕事ぶりを語るドキュメンタリー。

 

証言があった。タランティーノは90年代のヌーベルバーグだったと。

確かに『レザボア・ドッグス』の登場は、今でもわたしも覚えている。

当時、マメにチェックしていた『ぴあ』や『Cut』なんかの映画新作紹介で、「レンタルビデオ屋で働いていた映画オタク監督が、現代版フィルム・ノワールで映画界に殴り込み!」くらいな興奮そのままの記事に「これは観なければ!」とこっちまで期待で鼻穴を膨らませてた。

 

肝心の映画はやっぱり観たこともない面白さで、そこからタランティーノという名前を追っかけるうちに、あれよあれよという間に世界的なスター監督に。

最初にみた近影は、人の良さそうな表情にダサ白Tを着るやけにガタイの良いオタク青年といった感じだったが、次に見つけた写真は、黒スーツをビシッと決めてレッドカーペットを有名美人女優をエスコートする精鋭監督のテイ。

なんだか容姿もどんどん磨かれて、女優とのツーショット写真のオシャレ写真も出回るようになった。

そうすると、あら不思議!サングラスをきめた松田優作かと見まごうくらい…目を超細めて見れば?

 

けれど撮る映画撮る映画がことごとくヒット作になるのと同時に、貫禄が出たのは確かで。

中でもやっぱり個人的には『キル・ビル』。

ユマ・サーマンに「斬リタイ鼠ガイル」とシビレる日本語セリフを言い放たせ、サニー千葉の登場に音楽は梶芽衣子の『怨み節』と、なんとも日本愛に満ちたアクションチャンバラ映画だった。

ところが、このドキュメンタリーの中では身近なスタッフは、『キル・ビル』に関して「タランティーノは香港映画に恋してるのさ」と物知り顔で語っており、思わず「ちーがーうーだろー!」と胸ぐらを掴んで揺すりたくなった。

それだけ、わたしも日本人としてタランティーノからの愛され感を自負してる、ってことかしらん。

 

映画の終盤は、MeToo運動のワインスタイン問題が語られた。

ミラマックスのトップとして、タランティーノを街角のオタクから世界のスター監督へとのし上げた最大のパトロン

この業界最大の怪人の前では、映画に夢中の天真爛漫のタランティーノも保身が精一杯のただの小童だった。

問題が表面化した頃には、タランティーノだって押しも押されぬ大監督で、自分が恋焦がれたミューズのためなら立ち向かえたんじゃないかと思えるだけに、タランティーノの言い訳はがっかりでしかないし、タランティーノならばと頼ってきた女優も気の毒でならない。

タランティーノ自身も、この騒動で無傷ではいられなかった。

しばしの期間を置いて、新しいパートナーのソニー・ピクチャーズから『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を発表し、業界に返り咲いたタランティーノ

監督10作目となる次の作品で引退すると公言している。

レンタルビデオ屋で夢見た世界は、酸いも甘いも経験し尽くしたあと、どんな姿を見せるのだろうか。

AI先生が描いたタランティーノ。This art is created by #aipicasso