『サリガニの鳴くところ』1969年のノースカロライナの湿地帯で起きた殺人事件。
沼地の奥の誰も行かないところに生まれ育った孤独で美しいカイアが容疑者となった。
6歳でたった一人での生活を余儀なくされたカイアは、一度小学校に行ってみるも身なりや無知をからかわれて、学校に行かないことを決めた。
そりゃ、同級生にしてみれば裸足で泥だらけでボロボロの服を纏った同い年の小学生が現れたら、奇異な目で見るでしょう。
子どもたちは責められない。
それよりも、特筆すべきはカイアの強さ。
同級生たちになんとかして取り入ろうとするでもなく、彼らにさっさと背を向けたカイア。
母が一人湿地の家を出ていく時、泣き叫ぶでもなく母の背中を見送った。
兄が出ていく時も、連れて行ってと懇願もせず別れを告げる兄を見送った。
父の死後も一人家に残ることを決め、唯一の社会との接点は沼で採れる貝を買ってくれる町の雑貨店の面倒見の良い黒人夫婦のみだ。
保護施設に入れる機会も逃げ回り、静かに沼地の奥にある家で自然と共に生きていくことを選んでいく。
DV父の「誰も信頼するな」の薫陶が見事に結実。
尋常じゃない。
こんな強い人いるかね。
そして、幸か不幸か、カイアは人目を魅く美人に成長。
どんな美人かは、ドラマ『ドラゴン桜2』の健太を気にかける田村先生を想像してほしい。
少し狭い額にシワを寄せて、眉のすぐ下にある意志の強い瞳を輝かせて必死で訴えかける姿は、儚く美しい。
変わった生い立ちに、美しい容姿。
人々は遠巻きながらも注目せずにはいられない。
カイアの「放っておいて」を貫く精神は、さらに孤立を深めて受け入れてもらえるであろう人々や社会をも拒絶した。
巻き込まれる事件は、カイアにとっては事故みたいな試練だったけれど、一般社会からしてみれば決して組み込まれないカイアに対しての逆襲だったのだろう。
この事件が明らかになることによって、カイアは衆人環視の社会制度の法の下で裁かれることになるのだから。
にしても、美人じゃなければ違っていたかも、という1960年代のお話。
AI先生が描いた「美人とザリガニ」 I created art by AI Picasso #aipicasso